70年前、戦争が終結した年、陸軍登戸研究所では、実にさまざまなことが行われました。
まず、「本土決戦」をひかえて、4月まで大規模に風船爆弾の作戦が実施されました。作戦終了後の4月29日には登戸の本部で分散・疎開(移転)のための式典が行われ、5月には登戸研究所の本部と第一科(風船爆弾・電波兵器)と第二科(毒物・爆薬・生物兵器)は長野県に移りました。一方で第三科(偽札製造)は生田に残りました。長野に拠点を移した登戸研究所は、〈本土決戦〉用の新兵器(く号・ね号など)の開発と、遊撃隊が使用する破壊工作用の兵器(時限爆弾・焼夷弾など)の量産を進めました。
しかし、戦争は日本の敗北に終り、登戸研究所は解散となり、長野と生田の登戸研究所では、膨大な証拠物件と兵器類の焼却・破壊が進められました。その後研究所の各施設は、米軍が接収し、関係者は米軍の尋問を受けました。
今回の企画展では、8月5日公開の第一期で1945年8月15日までの登戸研究所の活動実態と兵器開発・生産に焦点をあて、11月18日公開の第二期では、敗戦後の登戸研究所の証拠隠滅作業と元所員たちの戦後に焦点をあて、当時の貴重な現物展示をまじえて、70年前の登戸研究所の真実を明らかにします。
展示期間中関連プログラムを行います。関連プログラムについてはこちら。