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  明治大学TOP > 東京国際マンガ図書館 > 米沢嘉博記念図書館TOP > 企画ページ > 「評論家としての米沢嘉博を語る公開トークライブ」第1部2項
 
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●分け隔てなく同じレベルで語る
唐沢 私が個人的に米沢さんの著作を初めて目にしたものが、『戦後少女マンガ史』です。それまでマンガ評論というのは、学者や作家の先生でマンガを好きな人の余技がほとんどで、自分の読んだものを中心に語っていて、体系的にまとまったものをほとんど読んだことがなかった。また、体系的に見ることが出来る知識を持っている人は、今度は一般の人に読ませられるだけの文章力がないという二律背反で、このジレンマに悩んでいた。だから、いよいよちゃんとコレクターとしても一流で、マンガ全体を通す目も持っている人が出てきたんだという、感慨というか、これは自分もうかうかしていられない、と思ったりもした本でした。ところで、野口さんは、米沢さんと仕事をされる中で、コミケの主催者の米沢嘉博という人間を意識しておられましたでしょうか?
野口 私は、この中で唯一マンガから入って米沢さんと知り合ったわけではないので、コミケも最初は知りませんでした。その後、もちろんコミケという存在や彼が大きな事をやっているということも知ったのですが、ある時米沢さんに「大きな組織を持っているのに、言葉は悪いですが、どうしてそれを利用して本を作っていかないのですか?」とたずねたことがあります。そうしたら彼は「自分は学生の時にそういうもの(あの当時学生運動でいろいろなことがありました)をくぐり抜けてきたから、ポリシーとして、君臨しない、上に立たない、組織をしない、それが守れなくなった時にはコミケもやれなくなるし、評論家としてもやっていけなくなる」とおっしゃられた。あまり大上段にものをおっしゃる方ではなかったですが、私はここに米沢さんの大きさ、優しさ、それから考え方が凝縮してるんじゃないかと思いました。
 本を作ったときは、コレクターの方に本を提供していただかなければなりません。コレクターにとってコレクションは、密やかに誰かには見せたいけれども、誰にも見せたくないという宝です。それを体系立って、しかも自分が編集までコミットできなくて提供するというのは非常に大きな抵抗があったかと思います。それなのに、米沢さんが声をかけてくれたコレクターの方々はみなさん快く(たぶん迷惑だった方もあるかもしれませんけれども)あらゆる物を提供してくれました。なぜ、米沢さんにそれが可能だったのかというと、米沢さんは本というものを通して、コレクターという本に対するそれこそ迷宮に入ってしまった者たちを愛していたからだと思うんです。彼にとってはムックを作るということは、もちろん体系化したいということもあったと思いますが、そういう本に対する想いを持って集めている人たちと一緒に手をつないで舞台に出ようじゃないか、と思ったんだと思います。
唐沢 古本マニアってのにはちょっと精神状態が普通じゃない人も多くて(笑)、精神病関係の事典を読んだら「ビブリオマニア=愛書狂」というのが載っていて、精神病関係のところにも我々は載っているのかと愕然としたことが以前あります。しかし、そういう海千山千の人間の中で米沢さんという人は本当にほとんどの人と喧嘩をしなかった。その辺、うーん、変わった作家さんや執筆者の人ばかりを相手にしてると思われる青林工藝舎の浅川さん、いかがですか?(笑)
浅川 米沢さん自身も変わったものを偏愛するところがあったと思いますよ。趣味性の強いものとか、エロティックな部分が作家の個人的嗜好を反映して妙に印象的な表現とか、メインストリームから外れたところから生まれる表現に対して拘りがあって、そういったものこそ愛していたようなところがあります。
唐沢 伊藤さんは、そういうマイナーなテーマではなく、藤子不二雄という「マンガと言えば」という代名詞の人を扱った本を担当されたわけですが、その辺の感覚はどうなんでしょうか?
伊藤 商業出版社での編集ということで、やはり売れるかどうかは考えざるを得ません。藤子不二雄がテーマの1冊ということであれば、これはまあ大丈夫かなという、商業性が成り立つという目論見は当然ありました。ただ米沢さん本人は、「ミソもクソも全部含めてマンガである」っておっしゃっていて、カスマンガっていうとアレですけれど、カスはカスでなんでカスが生まれてきたのか、どうしてこういうカスがあるのか、そういうカスがいっぱい集積した中にマンガの歴史がある、という認識はものすごい感じました。
唐沢 メジャーだからマイナーだからという区別は全くやっていなかった、と。逆に言うと米沢嘉博というマンガ評論家を評する時に茫漠としてしまうのは、あまりのその許容範囲の広さのせいだと思うんです。今流行のマンガ評論というのは、表現論つまり時代とかそれを読んだ人間の自分たちの記憶と切り離してマンガの表現を考えようというという形が、特に若手の人の間で多い。その中で、自分が生きていた時代、マンガというものが文化として戦後の中に根付いてから黄金時代になってゆくのを米沢さんは見ていた。そのトップのところに藤子不二雄や手塚治虫がいて、底辺のところでエロマンガがあった。この両方に目を配り、それをまったく分け隔て無くというか同じレベルのところで語ることができるというのは、実際他にいない。なんでそういう視点が得られたのかと不思議なんです。集め過ぎ、読み過ぎでそうなっちゃったのかな(笑)、としか思えない部分もあるのですが。
浅川 米沢さん自身も変わったものを偏愛するところがあったと思いますよ。趣味性の強いものとか、エロティックな部分が作家の個人的嗜好を反映して妙に印象的な表現とか、メインストリームから外れたところから生まれる表現に対して拘りがあって、そういったものこそ愛していたようなところがあります。
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