宮城 浩蔵
嘉永5年(1852年)天童藩医武田通道次男として出生、慶応元年同藩士宮城家の養嗣子。
明治3年同藩貢進生となり、大学南校、明法寮を経て9年フランスに留学。
リヨン大学よりフランス法律学士の称号を受け13年に帰国。検事、判事を拝命し、14年に『明治法律学校』を創設した。
23年第一回衆議院議員選挙当選25年同再選。23年東京代言新組合会長(24年東京弁護士会東京新組合会長)。 26年没 総合案内『明治大学』(1977年4月25日発行)、『自由への学譜』(1995年5月31日発行)参照作成