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  明治大学TOP > 東京国際マンガ図書館 > 米沢嘉博記念図書館TOP > 企画ページ > 「評論家としての米沢嘉博を語る公開トークライブ」第1部2項
 
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●日本一マンガを読んでマンガ全体をとらえ続ける
村上 次に、米やんのマンガ評論家としての仕事の方に入っていきましょう。それぞれ自分が一番ポイントだと感じる作品などを挙げてもらって、それを手がかりに話を進めます。
やはり初期の『戦後少女マンガ史』『戦後ギャグマンガ史』『戦後SFマンガ史』三部作ですね。当時、これに勝る精密な日本マンガ史というのは存在していなかったと言っていいほどだった。データなどは現在の方が米沢君の本をしのぐものや新しいものが出ていますけれども、これらの米沢君の本を現在読む意味が全く無くなったわけではなく、ひとつの軸を通して筋道立ってマンガ史を見ていく上においては重要な本だと思います。それから「アックス」で連載して、あと一回か二回かというところで彼が亡くなってしまったんですが、戦後のエロマンガ史をずっと彼は拾っていました。これも重要な仕事でした。
また、米沢君は、こんなものまで読んでいるのか、というものまで読んでいました。例えば、横山まさみちさんという方がいらっしゃいます。「日刊ゲンダイ」に『やる気まんまん』を長期間連載して、あまりにもくだらないマンガだから誰も取り上げない。しかし、私はこのくだらなさにはちゃんとした意味があるからこれは取り上げなきゃいけない、ということを前から言っていて、「横山まさみちはやはり重要だよね」というようなことを米沢君と話したこともありました。私は今言った『やる気まんまん』、それから70年代ぐらいに、「週刊漫画」や「漫画サンデー」に彼が描いていた作品について話したんですが、米沢君は「それだけで横山まさみちは語り尽くせない」と言って、「お前は『ああ青春』を知らんのか」というような話になりました。私も背表紙だけは見たことがあったんですが、中身までは読んでなかった。そんなのものまでも押さえているほど、マンガについては良く知っている方でした。米沢君は、日本で一番マンガを読んでいる、これはもう掛値なく本当でした。
藤本 私は特に少女マンガについて語りたいのですが、8月に「ちくま文庫」で復刊するデビュー作『戦後少女マンガ史』、そして「別冊太陽」の『子どもの昭和史 少女マンガの世界I II』。これが、素晴らしい仕事なんですね。『少女マンガの世界』は『戦後少女マンガ史』のビジュアル版的位置付けなんですが、例えば“ストーリーマンガ以前のマンガ群”“あこがれの少女スター”“バレエに秘められた思い”というように細かい項目に分けて、それぞれに代表される主立った作品の主立った場面を採り、それに初出を付け、解説もほとんど米沢さんの手によっている。もちろん手伝ってくれた人もいらっしゃるでしょうが、全体をやったのはおそらく米沢さん一人です。これは大変なことだと思います。まず、全体の流れ、それから主だった雑誌や作品の特色のすべてが基本的にわかっていなくてはいけないし、それをどうグルーピングするのが一番適切か、何を削って何を残すか、どう記述すれば一番判りやすいのかを考えなければならない。そして、全く知らない人に、この時代やその作品というのは、どこがポイントなのかをわかってもらう。私は5歳の頃からマンガを読んでますから、それから後の流れについてはある程度自分でも判るんですが、自分が生まれる前のこととか物心がつく前のことは、何か仕事で必要になった時にいつもこれを参考にさせていただいて非常に役に立っています。
これは、「知っている」ということももちろん重要なのですが、米沢さんの受容する能力と、全てに対する公平な評価がさらに大事なことだったと思います。マンガ史全体を全部俯瞰して見せるような、そして、その中から必要なところを取り出してみせるような仕事があって初めて、その中にある細かい研究ってのが生きてくる。こういう作業は地味なので、ハッキリとした個性の強い仕事の方が注目されやすいし、全体としてはそのぶん鋭さがないという評価すら出てきてしまったりする。しかし、公平な記述というのは、研究をやっていくうえで絶対に必要なことなんです。それはおそらく他の分野では何人かの人が集まってやっとできるようなことなのですが、それをたった一人でやってのけたのが、米沢さんの力だった。「基底をつくる力」それが米沢さんの一番大きな力だったと思うんですね。熊本には「よかよか、しょんなかけん」という言葉があるんですが、そういう受容性みたいなところが米沢さんにはあったのではないか。コミケットの代表をされていてあれだけ長い間大きな組織を、特に問題なくまとめてこれたっていうのは、米沢さんのある種受容と公平というところに拠るところが非常に大きいのではないかと思います。
一方で米沢さんは、非常に着眼点の優れた仕事も同時になされてまして、それが『藤子不二雄論 Fと(A)の方程式』です。昔話にも通じるようなマンガの古典、基底的な部分を支えているのがF先生で、一方A先生の方は、新しい表現にどんどん切り込んでゆく側面を持っている。だから、ある面・ある時期にはF先生が古いマンガだと見られがちなところを、A先生が新しいところを開拓していく力を与え、逆にそれだと先鋭的になりすぎるのを、F先生の基底的な力が引き戻す。その「FとAの方程式」が藤子不二雄を作ってきたっていうことなんですけれども、この方程式は実は日本のマンガの発展全体に言えることなんですね。日本のマンガの発展のダイナミズムというものを、藤子不二雄という二人の存在を丁寧に読み解くことによって、わかりやすく見せてくれたのがこの評論であり、大きく評価されるべきものです。
最後に、最近遺著として『売れるマンガ 記憶に残るマンガ』が出ました。これは時評で、まとまったものではないのですが、米沢さんが著作権や表現規制の問題、あるいはマンガが今海外でどのように受け入れられているか、などの問題に対してずっと目を配り続けてきたとことがわかります。時評というと、今何が面白いという作品評的なものになりがちなのですが、作品評ではなくて、今マンガ界はどうなりつつあるか、その経済的構成はどうなるのか、といった業界全体の問題を常に意識し続けて、動き続けるマンガ全体を捉え続けてきた方だった。そういうこと全てができる方っていうのは本当に少ないと思います。
みなもと 私『お楽しみは〜』の中で、新しいマンガの画風が出てきてるのだが、この作家たちが、自販機のエロ本雑誌にしか載ってないっていうのが非常に悲しいということを書きました。30年も経って、結局それが萌えになり、現在のマーケットになるんですが、その自販機本に係わっていたのが米沢氏だと本人からも聞きました。だから、彼はマンガの歴史そのものを自分で作り出してもいた。もちろん現在コミケがあるのは、よく見えているけれども、それを立ち上げるあるいは側面を援護することまで自分でやっていた。
村上 その側面からの援護にあたるのかもしれませんが、僕は『同人誌エトセトラ』という阿島俊名義の本がかなり重要な仕事だと考えています。藤本さんがおっしゃった時評に繋がるのですが、同人誌の時評を兼ねて、同人誌というものがどういうふうにこの何十年か動いてきたかというのが全部書いてある。作品を語る或いは状況を語るように見せかけてやっぱりダイナミズムそのものを語っていたとんでもない本です。作品についても、ちゃんと位置づけられるというのは、その時の実感というのが自分の中にあって、それで判断できるからです。その意味で彼の書くものの中には、単に作品をテキストとしてみなすというよりは、それを読んでいた時の記憶とか、それを描いている作家がどうだったかみたいな感覚とか、生き物としてマンガを見ているようなところが凄く感じられます。
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