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  明治大学TOP > 東京国際マンガ図書館 > 米沢嘉博記念図書館TOP > 企画ページ > 「評論家としての米沢嘉博を語る公開トークライブ」第1部2項
 
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●あるがままに届けていれば届くものは届く
唐沢 「これはこういうふうにまとめて」「これでなくてはいけない」というようなことを米沢さんがおっしゃった記憶はありますか?
伊藤 というよりもむしろ「あれもあればこれもある」、仮にあったとすれば「これも入れなきゃいけない、あれも入れなくちゃいけない」ということでしょう。ただ、その「場」を認めなければいけないというのはあったと思います。ですから、コミケという場所も、ある種米沢さんの頭の中そのまんまという印象が私にはあります。マンガがベースにありながら、鉄道であれ、音楽であれ、あらゆるジャンルがごった煮でひとつの「場」に収まっている。米沢さんの評論はマンガに限らずどのジャンルでも、空気を読み解き、大衆の感情・情熱・情感を読み解くことに力を注いでいたように思います。だから、そういうのを規制したりするようなものに対しては許せない気持ちがあったんじゃないでしょうか。
唐沢 今、キーワードとして出た「場」っていう言葉ですが、彼がコミケを作ったということは、とにかくあらゆるクリエイティブなことをやりたい、という人々が、それが同人誌という形であれなんであれ、発表できて、売ることができて、ファンと交流できる「場」を作ったということです。そして、マンガ業界というものも「場」として捉えた。エロマンガ業界というのも、個々の作家さんたちの発表の「場」として大事なんだという考え方でしょう。
浅川 訳がわからないものが生まれてくる「場」というものに、すごい拘りがありました。整然としたところじゃなくって、混沌とした「場」。それはコミケに対しても言えるし、貸本マンガもそうでしょうし、エロマンガももちろんそうです。
唐沢 一時、コミケは、ある程度興味を持ち始めたジャーナリストや評論家の格好の攻撃の的になっていた時代がありました。「エロマンガ史」みたいなものを書いている中で、それへの想いというのが、原稿の中に噴出することはあったんでしょうか。
浅川 書き方としてはいつもフラットなので想いが噴出するようなことは滅多にないんですけど、例えば表現規制に関する問題などでは毅然とした態度をとっていたと思いますね。
伊藤 ただ、いろんな問題が常に起こっていても、割と巧妙に、トライアル・アンド・エラー的にじわじわ進めていく印象があったんですけれど。
唐沢 そこら辺が上手いなと思いました。敢えて対立せずに両方の意見をにこにこ笑ってちゃんと聞く。誰とでも、ほんとにこの間まで米沢さんの悪口を言った人間ともにこにこと話をしておられた(笑)。あれは本人の性格から来るのか、それとも責任感からなのか。
ベル いや、ついにこにこしちゃうんじゃ(笑)。
唐沢 そういう人間がトップに立ったっていうことが、同人誌を、あるいはマンガをある種救った面があるんじゃないか、思っているんです。
浅川 必要以上に戦っちゃったら、おそらく叩かれていたと思いますね。
唐沢 世間やマスコミ、常識とか大人たちとか、何らかの権力を持っている人たちの強さ、怖さっていうものも知っていたんですかね。
伊藤 米沢さんには常にある種の諦めがあったのではないでしょうか。例えばマンガ評論ひとつ取っても、自分のマンガ評論、いやそもそもマンガ評論自体が何の意味があるんだろう、どんなに自分がエロマンガについて研究したとして何の役割があるんだろう、受け手がいないんじゃないか、自分が書いても届かないんじゃないか。人を下に見てというわけではないがここまでの知識を書いてもこれをわかってくれる人がいないんじゃないか、しかし、書かずにはいられない、という諦めを抱きながらやられていたんじゃないか。
野口 世代論を言っても仕方がないのですが、やはり、彼は70年代の申し子だったのでは? この世代は、メッセージ性を伝えることに意識的でありながら、しかしやっぱり伝わらないことが結果として多かった世代ですので、その結果、強いメッセージ性を自分で持ちながらそのメッセージ性を全面に出さない、というスタイルを取った。それは彼の戦略でもあった気がします。スローガンを掲げないスローガンとでも言いましょうか。だから、優しさとか性格の問題ではなく、彼のひとつの知的な戦略だったのではないかと思うんです。
伊藤 声高に言うよりは、あるがままに届けていけば届くものは届くというような強い意思が、あの微笑みには込もっていた気がします。だから、何かこうガチガチと決めていかないというコミケの組織運営にもつながるかと思います。それはひとつの大衆運動なんだという。
唐沢 コミケというものがこれだけ大きくなり様々な問題がありながらもここまで続いているのは、米沢さんの声高にメッセージ性を伝えないということが大きい、ということは生前から思っていたし、彼にも伝えたんです。ところが、それがこういうところでトークする時のネックになっていて、米沢さんってどういう人間だったのかと100人に聞くとたぶん100人の米やん像がある。では、その米やん像がどういうものかというと、みんなが「本当はこう思っているのではないのか? 本当は怒っているんでしょう?」と言う。
ベル 怒っていると言えば、例の松文館裁判の地裁判決を下した裁判長に関しては、彼がここまで言うのは珍しいぐらいなハッキリした口調で言っていましたね。あれは本当に珍しいことでした。
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