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「評論家としての米沢嘉博を語る公開トークライブ」第1部2項
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●世代論に終わらない歴史性
伊藤
:
「裏表」というとちょっと違うんですが、米沢さんはにこにこ笑っていらっしゃるだけではなくて、例えば評論の文章にしても、不特定多数ではない特定少数のメディアになったりすると、書き方は同じなんですが、ダークというと言い過ぎですが、暗さというか苦さというか、それとも諦念というのか、そういう度合いがかなり強くなる気がするんです。
唐沢
:
裏米沢というか黒米沢というか。
伊藤
:
ここで私が言っている「裏」というのは「白い藤子と黒い藤子で藤子不二雄」と同じみたいに、裏表ではなくて、グラデーションになっている。『藤子不二雄論』もそうでしたが、米沢さんがB級モノを語る時って、どれを語る時も結局ご自分を語っていらっしゃいます。
唐沢
:
それが米沢さんの強みなのか、それとも今の若手のマンガ評論家の一部が言うような、この世代の評論家の限界なのか、どっちだと思いますか?
伊藤
:
強みか限界かはわかりませんけれども、歴史性と状況論の2つはもう米沢さんの独壇場と言ってもいいくらいに、ものすごく強い。マンガ表現論においてもこの2つを持ってなかったら、かなり脆いものになると思います。さらに、自分の体験だけに固執するのではなくて、ギャグマンガを語るならばギャグマンガ以外でも、自分の体験にない戦争直後や戦前まで遡っての知識をきちんと蓄えた上で語らないと語れない、というようなところがあったのではないでしょうか。自分のオリジナルの体験がかなりベースになっていながら、色んなものを吸収して、補完していく。例えば、貸本マンガを語る時にはみなもと太郎さんの方が少し年上ですから、みなもとさんからすると米沢さんの貸本マンガにおけるものの見方というのは、みなもとさんが感じたものとは若干違いがあるらしいんです。この場合、普通は世代論が出てくるかと思いますけども、世代論に終わらないのは米沢さんが歴史性とかを考えながら様々なもの取り込んで自分の中で物語化してるからだと思うんです。
浅川
:
体験をベースにしたものを書く場合でも押しつけがましさがないんですね。ものを書く人は、自分が経験したことを出しがちです。そこを押さえて、客観的に見つめようとするところは、米沢さんは非常に特徴的でした。個人的な経験、主義主張を自分の都合のいいように無理矢理対象に引きつけて語るような評論と比べて、一番の違いはそこだと思います。歴史あるいは大衆文化史との関わりの中でマンガを語る場合にも、主義主張があるとどうしても歴史認識自体にゆがみが生じてしまって、「このマンガはこう読まねばならぬ」みたいな押しつけの部分が出て来る。そうした語り口だと威勢が良くて、読み方によってはカッコよくも見えるんだけど、評論としての普遍性は得られない。米沢さんにはそれは一切なかったです。その分、文章に読み手をアジテイトするような熱さとか、カッコいいフレーズといった派手さはないので、一読してわかる「米沢スタイル」みたいなものはないんですが、そうしたスタンスを取り続けたというのは、物書きとしては実は希有なことだと思います。
●米やんに書いてもらいたかったこと
唐沢
:
そろそろまとめていきましょう。米沢さんにあと10年と言わず、5年の寿命を天が与えてくれたとして、それぞれ何を書いてもらいたかったか、あるいはライフワークとして米沢さんがこれをしてくれれば、というのをお聞きしたいのですが。
野口
:
それを言い出すと、本当に想いが募ります。彼だったら戦後の文化全部を語る本ができたと思います。それは、単なる私の願いではなくて、何か企画が作れないかしらと言って、米沢さんに書いてもらった10ページくらいの手書きの企画メモを持っているんです。平凡社の「別冊太陽」という媒体がありましたから、その中でこういうことが出来るよという想いを託してくれたものでした。ざっと読みあげますと、例えば書籍関連だと「本のベストセラー史」「戦後エロ雑誌の展望」「大人の昭和史」みたいものができないのか、これは今でも編集者がいたら是非受け継いで企画を立てて、米沢コレクションみたいなシリーズで刊行していったら、実に面白いものができると思います。それから、「雑誌広告のコレクション」「文壇のヒロイン史」……。後、彼はやはり70年代ということに非常に拘っていましたから、70年代という時代のサブカルチャーの台頭、青年文化をもう一回きっちりしたものにしたいという想いが強くあったと思います。それから「ポップスの世界」。彼はポップスも好きだったんですよね。さらに、絵巻とか浮世絵に天変地異が描かれたおどろおどろしい物を集めた本とか、「青年マンガの世界」とか「家電の起源と発達」というのもあります。それ以外にも「個人博物館ガイド」「悪趣味博物館」とか「モンドエロチカ」「猫の博物誌」「週末の画集」等々たくさんの項目を挙げていて、いかにも彼は幅広い。彼はきっとこのメモを書いている時は楽しかっただろうと思います。
唐沢
:
浅川さんは、やはりエロマンガの歴史をまとめる仕事があるわけですけど。
浅川
:
そうですね。もちろん米沢さんに最後までまとめていただくのが一番理想ではありますし、「もし今いてくれたら」と思うことは今でもしょっちゅうありますが、「もし」という仮定の話よりも今は現実に目を向けないと。本をまとめないといけませんから(笑)。ですから逆に、米沢さんがいなくなったことによって、マンガに限らず研究・評論の分野で米沢さんがやって来た仕事を後の世代がきちんと引き継いでいかないといけないとは思いますね。ただそれは一人じゃ絶対無理で、そもそも無理なことを一人でやってたのが米沢さんのすごいところなんですが。「戦後エロマンガ史」が完結しなかったことは米沢さんとしても心残りだったでしょうし、せっかくですからたくさんの人にご協力いただいて、もし仮に米沢さんが読んだとしても納得の行くものにしたいと思ってます。せめてこれを終わらせてから逝って欲しかったと思います
ベル
:
本人も本当にやりたかったんです。一度資料を見に帰るつもりの日から面会謝絶になってしまって……。
伊藤
:
米沢さんの業績で一番大きかったのはコミックマーケットという「場」を作ったこと、もう一方でマンガ評論家、文筆家の米沢さんにおいては、書くべき事がまだまだ大量にあったはずです。戦後マンガ史3部作は大変な労作ですが、これは27歳の時の仕事なんです。30年近く前のものですから古くて当然なわけで、新聞の追悼記事とかを見ると『藤子不二雄論』を代表作的に書いてくれているのもあったんですけども、米沢さんにとっては『藤子不二雄論』は本来、大きな仕事の中のほん一部に過ぎなかったはずなのに、それが代表作のひとつに数えられているのが本当に悔しくて。今、野口さんのリストを聞いて懐かしかったのですが、私も同じ話をお茶を飲みながらいろいろうかがってまして、書きたいことをいっぱい持ってらっしゃった。そして、私が一番書いていただきたかったのは、コミックマーケットを含めた米沢さんの、なんでああいう頭の人間が出来上がったのかという自伝ですね。もうどんなぶ厚い大著になってしまってもいいですから(笑)。
唐沢
:
米沢さんは自分自身をどう評価していらしたんでしょう。酔った勢いで僕はコミケがいかにすごいか、あなたはもう歴史的な偉人だ、みたいなことを滔々と言ったことがあるんですが、彼は「そうだよなあ、コミケが無くなったら困る人もいるかもしれないもんなあ」と。いや、そんなレベルじゃなくって(笑)。韜晦なのか、本気で自分を過小評価していたのか、最後に謎となって残ってしまった。
ベル
:
「責任はもう持つしかないねえ」みたいなことをお互いに言ってました。「しょうがないよねえ」と、いう感じで。
唐沢
:
「持つしかない」なんですよね。常にクールって言えばクールなのかなあ、エロマンガにしろ何にしろ僕がまとめるんだではなくて、僕がまとめないと、という言い方をよくされませんでした?
浅川
:
そうですね。義務感みたいなものはすごくありました。
唐沢
:
米沢さんからは「これは他の人がやってくれれば楽なんだが」みたいなことを何度も聞きました。誰もやってくれないから仕方がないから俺がやるんだ、という感じで。ところで、コミケを知っている方で、たぶん評論家としての米沢さんの業績を全く知らないという方が、特に若い人に多いのではないかと、ひどくじれったい気持ちがします。
ベル
:
昨冬のコミケでは、カタログやコミケットプレスで追悼特集を組んだのですが、米沢さんってそんな人だったんですね初めて知りました、というお便りが結構きていましたね。
唐沢
:
たかだか1時間半程しゃべったところで、米沢さんの真実に迫れるわけはないのですが、ミステリアスな人間であったということは、おわかりいただけたのではないかと思います。本当に様々な面をコレクションしていた本の分野の幅広さ自体が、米沢さん自身の大きな人格を作ると共に、その実態が茫洋となるという原因にもなっているんじゃないかと思います。伊藤さんのおっしゃる通り本人が書いて下さらなかったのが痛恨の極みですが、どなたか、米沢研究本を出してください。あのコミケの中に米沢ブースっていうのを作って、米やん関係のものを何でもいいです、コミケやおいでもいいです(笑)、米×…誰だろうな、敢えて言わないでおきますけれども(笑)。そんなブースや本があって、米沢さんのことをずっとコミケが続く限り語り続けていってくれればいいなと思います。最後に、たぶん喫煙スペースでタバコを吸いながらこの話を聞いていた米沢さんに一言、言葉をかけてこの第2部を締めたいと思います。
野口
:
これだけの会場に来ているみんなと、米沢さんのことを忘れないで生きていく、米沢さんが残したものを発展させていきましょう。
伊藤
:
ただ、いろんな問題が常に起こっていても、割と巧妙に、トライアル・アンド・エラー的にじわじわ進めていく印象があったんですけれど。
浅川
:
未だに亡くなったという実感が、全くないんです。だから今何かというのは思いつかないのですが、米沢さんからいろいろ受け取ったものを何らかの形で、また人に渡せるような活動がしていければと思ってます。
唐沢
:
あと本をね(笑)。
浅川
:
頑張ります。
伊藤
:
新しい米沢さんの語りをもういただけないのがすごく残念なのですが、いくつか米沢さんが雑誌とかに残した原稿を集めて本にできたらと思っております。米沢さんがやりたいとおっしゃっていた仕事の内のささやかなひとつですが、手塚治虫について語った米沢さんの評論集を今編集中です。刊行されましたら手に取っていただけたら幸いです。
唐沢
:
まだまだ米沢嘉博の残したものが我々の目に触れることが期待できるということですね。ただ、膨大なコレクションの完全目録を作ってくれると(笑)、先達がこういうものをこういう中心にこういう形で集めていたのかっていうのがわかってうれしいなと、コレクターとしては思います。拙い司会ではございましたけれども、本当にどうもありがとうございました。最後にベルさんから、ここに集まってくれた人たちに一言お願いします。
ベル
:
本当にこんなにたくさんの人たちが聞いてくださって、本人はちょっと照れくさいかもしれませんけれども、皆さんありがとうございました。
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