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第4回 (2005.4.13) |
松崎 秀樹 さん (千葉県 浦安市長) |
1974年 商学部 産業経営学科 卒業 |
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今、私は30年ぶりに明治大学で学んでいます。 2年前、母校の明治大学に公共政策大学院を開講すると聞いて、公務をこなしながら通えるか悩んだ末に受験しましたが、この1年間、私の学生時代から大きく様変わりした明治大学には驚きの連続です。
私が入学したのは35年前の昭和45年(1970年)ですが、私の4年間は、今では考えられない70年安保闘争による学園紛争が荒れ狂った時代です。
御茶ノ水駅から駿河台下まで、火炎瓶のガソリンと催涙ガスの入り交じった臭いがする中を、襟の高い詰め襟の学生服姿で通い、ロックアウトによる休講を尻目に、空手・居合道・剣道・杖道と、部活と道場通いで武道に明け暮れた毎日が、私の4年間の全てといっても言い過ぎではありません。
稽古の合間には、酒を酌み交わしながら天下国家を語り合い、また、明治の短大生だった妻と知り合ったのも思い出多き駿河台です。
また、4年間の中で2回の6大学野球の優勝も経験し、優勝祝賀の提灯行列や美酒に酔いしれたことも懐かしさとともに自慢の一つです。
様々な思い出の詰まった明治大学の4年間ですが、勉強だけはしてこなかった悔いをはらすために今、公務との両立に必死で頑張っています。
30年前とすっかり様変わりした駿河台校舎は、古くても明治のシンボルでもあった記念館が高層のリバティタワーに変身し、かつての陰気な文学部の校舎が見事なアカデミーコモンへと変わり、時代の移り変わりをしみじみと感じていますが、元気な現役の明大生と接するたびに「明大健児健在なり!」を実感しているこの頃でもあります。
昭和40年代の後半も時代が大きく揺れ動いていましたが、今はあのとき以上に国も地方自治体も大きな転換期にあります。こんな時代に明治大学に学べる運の強い学生諸君に心からエールを送ります。
頑張れ、明大健児! |
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