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第8回 (2005.9.5) |
牧島 功 さん (神奈川県議会議長) |
1967年 商学部 商学科 卒業 |
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「ボロは着てても 心は錦 」駿台スピリットの原点はここに在り。
まだ世間では学生を硬派、軟派で色分けし、学費値上げ問題が発火点となり、イデオロギー闘争に発展する時代であった。東大から放たれた学生運動が明治に飛び火し、今では死語ともいえる赤ヘル、革マル、不法占拠、学校閉鎖の文字が連日報道される時でもあった。授業はボイコットされ、学校はストライキの拠点となり、校内にはバリケードが築かれ、勉学の環境は完全に失われていた。別に勉強をしたかった訳ではないが、学校が傷つけられ、明大の魂が喪失し、学生の本分が失われていくことはなんとも我慢ができなかった。
私のクラスでは全員集会が開かれ、激論がとびかった。私は断固スト反対、学生の正常化を訴え続けた。世の中の風潮に流されたくなかった。イデオロギー対立の場として学園は存在している訳ではない事を説いてまわった。我がクラスのスト参加は見送られた。自らの説得が功を奏した訳ではなかったと思うが、信じる事を恐れず、時流に迎合することなく発言、行動し続ける事に誇りを感じた。こうした出来事の一つ一つが心に刻まれ、今日の私があると信じている。
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卒業と同時に現総理の小泉純一郎衆議院議員の父である小泉純也先生に師事し、書生の道を選択した。今流に言えば秘書と呼ぶのだろうが、当時は正に書生そのものであった。身分も保障されず泥にまみれ、寸暇を惜しまず奉公一筋であった。その後急逝した純也先生から純一郎先生へと時代は変わるが、信条は一つ「ボロは着てても 心は錦 」を座右の銘とし、駿台スピリットを燃やし続け、地方政治の末端を担ってきた。
現在、政治家志望者は減少し、まして地方政治家を目指そうとする青年は不在なのかも知れない。しかし、政治に命を懸ける若人の不在はその国や地方の崩壊を意味することになる。地方の時代とか分権社会といった言葉は氾濫していても、実際にそれを支える人材なくして達成が困難なのは自明の理である。今こそ苦節に耐え、時の流れやマスコミの作られたファッションに背を向け、反骨の精神を貫くことの出来る青年の息吹きを望みたい。
明大の歴史と伝統を継承することに正義を求める若人との出合を期待している。
臆することなく、裸になれる。学ぶことに ひるまない。耐えることに ためらいのない。そんな明大生であって欲しい。 |
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