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第5回 (2005.4.25) |
石川 道政 さん (岐阜県 美濃市長) |
1963年 商学部 商学科 卒業 |
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私が明治大学商学部を卒業したのは、昭和38年の春で、その翌年には、東京オリンピックがありました。
明治の校風は門閥や学閥には無縁の気楽な空気に満ちていて、4年間のうちに好きなだけ勉強して単位を取れば、あとは自由で良いといったふうであった。
私は、在学中の4年生は自由な1年にしたいと思って、3年間でほぼ全部の単位を取り、更に面白い授業と聞けば、他学部の先生の講義にもぐり込んだり、好きな先生の本は片っぱしから図書館で読んだりした。今日、それが本当に役立っている。
私の人格形成や青春は、まさに“明治”にあったと思います。18歳の田舎の若者にとっては、急に大人の社会に突入し、あらゆることが面白くてしかたなかった。明治の学生生活の全てが新鮮で良いことも悪いことも「干天の慈雨」のように私の身となり、肉となっていった。
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勉強仲間には、勉強の他に音楽や映画にのめりこむ者、株に熱中する者、ひたすらスポーツだけに打ち込む者やパチンコで学資や食費を稼ぐ者もいた。私は、クラスやゼミや部活に精を出し、多くの友人と出会い、今までの自分にない多くを得た。
明治の商学部で春日井先生に出会ったことは、私の人生を大きく変えた。先生は、本校の学長や総長も勤められた大学の重鎮である。田舎から出た若者が、いきなり先生の国際級の学問に触れる機会に恵まれることとなった。私は、はからずも金融経済研究部の長を勤めたが、金融経済研究部やゴルフ部やスキー部を作ったのも春日井先生であった。何度もお宅へお邪魔し、奥様にも世話になり、就職から結婚の仲人までしてもらった。私は、卒業後、損害保険の会社に入ったが、途中で退社し、26歳で郷里へ帰った。当時、社業が傾き、倒産寸前の会社を建て直すためだった。以来、郷里美濃市に住み、青年会議所や業界、まちづくりに精を出した。
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美濃市は岐阜県の中央部にあり、1300年の伝統を誇る「和紙」と「うだつ」のまちで、人口わずか24,000人のまちである。
市長となって10年、わがまちも年中、観光客が訪れ、賑わいが戻って来た。9.3ヘクタールに及ぶ和紙とうだつの町並みは電線の地中化などの整備も終り、2004年には日本一美しい町並み大賞や中部未来まちづくり創造大賞を受賞するなど、評価もいただけるようになった。市内で繰り広げられるイベント、あかりアート展は2日間で10万人を越す人々であふれ、2002年には日本一のイベント大賞を頂く程になった。愛・地球博にも出展させてもらえることになっている。
当市はこの1月住民投票により、小さいながら合併せず、単独でキラリと光るまちづくりを進めることになった。
最後に学生の皆さんに申し上げたいことは、明治の良さは自由に学ぶ校風と素晴らしい先生や友人に出会えることではないか。自ら積極的に先生を選び、友を選び、この選び方で君の人生も大きく変わるだろう。昔のように良き時代は終わったかも知れない。リスク社会とか、勝組、負け組の2極社会に翻弄されることなく、君自身の未来のため、“明治”を活用して、より素晴らしい未来を拓いて欲しいと思います。
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