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第24回 (2008.2.12) |
中丸 眞治 さん (株式会社桔梗屋 代表取締役社長) |
1972年 商学部 商学科 卒業 |
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私が在学したのは、昭和43年から47年で、学生運動が最も激しく、各大学は順次閉鎖され母校明治大学も例外ではなかった。
2年生のときは、広告研究部に在籍して「東京学生広告連盟」という都内11大学の連合組織に、明治広研代表として理事になっていたのだが、連盟の総会を開くための会場探しに大変苦労したことを思い出す。 参加大学はすべてロックアウトの中、最終的には連盟に未加盟だった大東文化大学の講堂を借りたのだが、その折ともに苦労した法政、中央、東洋各大学の二年生とは、学校を超えて友情を深め、互いの下宿で酒を飲み、夜を徹して語り合ったものだ。
スト期間中は、所属していたマーケティングの徳永ゼミの仲間と、曜日を決めて都内の公民館などを借りながら、専門書の輪読会などを続けていた。したがって、必修科目ではあっても、定期試験はレポート提出のみという授業も多かったのだが、見方を変えれば、きちっとした講義を聴く時間が少なくても、自分たちでテーマを決めて参考文献を探し、専門外の書籍を読む、という機会が増えたことは不幸中の幸いともいえよう。
学部時代、さらには48歳になってから入学した大学院商学研究科でお世話になった明治大学には、徳永、刀根、沢内先生という恩師がいたのだが、いずれも個性的な先生方で、学問だけではなく後のビジネスのヒントになることを多くご教授いただき感謝している。
刀根先生と徳永先生は私の学生時代には新進教授だった方々だが、私が博士前期を終了するのとほとんど同時期に定年退官された。その後は沢内先生の研究室に所属してベンチャービジネスとマーケティングの研究をさせていただいたのだが、院在籍中にはいくつかの専門書やテキストの分担執筆、翻訳書の刊行もさせていただいた。遅れてきた研究者としては望外の喜びであった。
刀根先生と徳永先生には、ビジネスのありかたとビジネス研究のあるべき姿を教えていただいたと思っている。
徳永先生は、授業の後やゼミの時間に質問しに行くと、そのときには何も答えず質問を聞くだけ聞いて去ってしまう。ところが後日、大教室での授業の終わりのころになって、「君たち、そろそろこういう本を読んだらどう」とおっしゃるのである。それが社会学の本だったり、情報理論、システム論、経済学分野などあらゆる方面にわたっていた。「自分の頭で考えよ」ということを教えていただいだ。
刀根先生は、大学院修士課程入学の折、最初の授業が始まる前にご挨拶に伺うと、「お、まともな社会人だな」とおっしゃる。なぜかと伺うと、学生はもちろん大学内ではきちんとした挨拶ができない人もいるから、ということであった。その後は、私と顔を合わせると戦前の古い言葉ではあるが「中丸さんは別格官幣社」だ、暇つぶしに大学院に来ているのではない、といってご指導いただいた。
明治大学商学部には学部4年、大学院で博士論文に挑戦した6年とお世話になり、私のビジネス、ひいては人生のバックボーンとなっている。これからもますます「個」を生かし、育て、強くする明治大学の中核学部として発展していただきたい。
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