 |
|
第39回 (2010.08.24) |
福本 哲也 さん(鳥取県企画部青少年・文教課 企画員) |
1993年 商学部 商学科 卒業 |
|
高校時代はラグビー部でしたので、黄金時代真っ只中の明治大学に入れただけで、人生の目標は達成されたような気分でおりましたが、入部してみるかと2度ほど見学した時点で「こりゃ無理だ」と痛感し、泣く泣く応援する側に移ったというのが、私の学生生活の始まりでした。いきなり何にもすることがなくなってしまったのです。
元々、情けないことに「大学で何かを学んでやるぞ」などという崇高な志なぞ抱いておりませんでしたが、これまで「世の中なんとかなる」と過ごしてきた私にとって、生まれて初めて訪れた人生というものに対するこの虚無感は想定外でした。上京していきなり東西を失ってしまった私は、しばらくはただ大学に通うだけの生活を送っていたのです。
ところが、大学にはいろんな連中、個性豊かで魅力的な連中がわんさかいるのです。すでに目標に向かって突き進んでいる奴、いつ寝ているのか不思議なくらいバイトに励んでいる奴、きれいにウナギをさばける奴、霊感が強過ぎてなかなか住む家が決まらない奴などなど。みんな逞しく生きているのです。なんて愉快な大学じゃないですか!そんな連中と触れ合うにつれ、仕送りをもらっておいてなんですが「俺も自力で逞しく生きていくぞ」と強く思ったわけです。ラグビー部には入れませんでしたが、北島監督の「前へ」の精神だけは受け継いだつもりになったわけです。
それからは、男はロックだぜとバンドを始めてみたり、旨いカレーに感動してカレー屋になることを妄想してみたり、誰かが何かの資格を目指すと聞けば、ワシもワシもと古本屋で参考書を漁ってみたりと、行き当たりばったりのようではありますが、かっこよく言えば自分探しの自由な旅に足を踏み出したのです。自由と言いましても、リバティーよりもかなりフリーダム路線でしたので、親や周囲の皆様には相当ご心配とご迷惑をおかけしたことと、反省することだらけではありますが。
結果的に、中古のギターを譲った後輩がそのまま音楽の道に進んだり、カレー屋に連れて行った友人がそのままそこで働き始めたり、参考書を売った友人が資格試験に合格してしまったり、なぜか私が公務員になっていたりと、それぞれがなんとかやっているのであります。
振り返ると、いろんな人間がいる中で、「それなら自分はこうやってみよう」という選択肢を見つけるための刺激やネタが溢れていたように思います。そして、それらは人から与えられたり、逆に与えていたりして、その時は気づいていなかったけれども、間違いなくお互いの人生の構築に関わり合っていたというか、影響し合っていたというのは、今さらながらに実感しているところです。
大きくなったらチョウチョになりたいと言う幼稚園の息子に「がんばったらかっこいいアゲハチョウになれるぞ」と言いながら、毎週近所の草むらで、他のいろんな虫も見せてやろうと張り切っているのです。
現在、私は鳥取県庁で私立大学との連携を担当しております。本県では、明治大学とも教育・研究活動の連携協定を締結し、様々な事業を行っています。3年前から鳥取に住む女性たちの地域活性化活動への支援事業「とっとりグランマ倶楽部」を共同で実施したり、2012年に本県で開催する「国際マンガサミット」へのご協力もいただいているところです。明治大学でも、東京国際マンガ図書館を計画されているとか。
けして出来のいい卒業生ではありませんが、やっと母校のために役に立てそうだと喜んでいるところです。
そういえば、学生時代に明治大学の創立者である岸本辰雄先生が鳥取県のご出身であると知り、どこかに銅像でもないかと探したところ、旧記念館前の生い茂った木々の間でひっそりと佇んでいらっしゃるのを見つけた思い出があります。今では、きれいな庭の中に移設されていますが、数年前には私の職場そばの鳥取県立図書館にも銅像が建立されました。毎日のようにお目にかかりますが、これは結構気合が入りますよ。
|
|