 |
|
第29回 (2008.8.26) |
佐藤 健 さん(オリックス株式会社専務執行役、ORIX USA Corporation会長) |
1969年 商学部 商学科 卒業 |
|
今、アメリカでこれを書いています。私は、01年4月からニューヨークに4年以上住んだあと、会社の都合でダラスにも住むようになり、今は両都市を行ったり来たりしています。早いもので、米国はもう7年4ヶ月、他にインドネシア、フィリピン、オーストラリアそしてシンガポールの4カ国にも駐在しましたから、通算で5ヶ国22年以上海外にいることになりました。社会に出て、これほど長く日本以外の地に居住するとは想像もしなかったことで、自らもビックリするくらいです。
私は、69年商学部商学科を卒業しました。3、4年生時は徳永先生や澤内先生の恩師でもある故清水晶先生のゼミにおりました。最初の就職先は、たまたま就職試験時期が早かったのと早く就職を決めて安心できるというだけの理由で埼玉銀行(当時)に入行しました。ところが、あまりの残業の多さと単純作業に悲鳴を上げて、1年で辞めて大学院に戻りました。こんな理由で、当時銀行を辞めるなど考えられないことで、就職課も含め周りからは冷たく見られたこともありました。
修士課程を修了してから、新聞広告でオリックス(当時オリエント・リース)に入社しました。新聞広告で人材募集している会社に入るというのも、当時としては勇気のいるものでした。銀行はタイミングで入ったのですが、オリックスには自らゆっくり事業の将来性など考えて入ったのが大きな違いです。
会社に入ってから今に至るまで、いわゆる殆ど海外畑を歩きました。駐在国での仕事は、本社側の代表として現地法人の運営に携わりました。5ヶ国の社員の顔は今でも忘れられません。また、日本滞在時には海外を統括しておりましたから、海外出張は頻繁でしたが、いろいろ携わった業務の中でも面白かったのは海外での会社の設立です。75年のインドネシアを皮切りに、スリランカ、ニュージーランド、エジプト、サウジアラビア、UAEの会社設立に直接携わりました。それぞれの国の金融機関や合弁に参加した国際金融公社(IFC−世銀子会社)の担当者との交渉は、今でも忘れられないほどいろいろなことがありました。
商学部でマーケティングを勉強していて、経営の基本を学んだこともこれまでの業務に本当に役に立ったと思っています。たまたま私の場合は、マーケティングだったわけですが、社会に出て役に立たない学問はないと思っています。
海外に出ると本当にいろいろなことが見えてきます。自分のこと、自分の暮らす社会のこと、会社のこと、日本という国のことが全く日本の中だけにいるのとは違った目で見ることが出来ます。いわゆる広い目で物事を見ることが出来るということになると思います。これは、それぞれの国の文化や国ごとに経済の発展段階というものが違っていますから、自然と自分の住む日本とそれらとを比較出来ることから来るものだと思います。皆さんも今からでも遅くはありませんので、少しの間でも良いですから海外に出て、一度自分と日本を見直してください。それが必ず良いものとして将来自分にFeed Backされてくるはずです。
最後に、将来の明治大学の進むべき方向の一つとして、やはり自由な考え方を持つ学生や帰国生を積極的に入学させ、広い目で物事を見ることが出来る学生を数多く育てるということをすべきだと思います。もちろん英語教育も必須で、各専門分野で海外との交流を図ることも明治大学の質を更に高めるために今後益々必要となってくると思います。新しく国際日本学部が出来ましたが、全学部でこうした観点から学生の教育を志すべきであり、結果として日本だけでなく、広く国際社会に資する人材を育てる大学になってもらいたいと切に思っています。
|
|