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平成20年度 質の高い大学教育推進プログラム(教育GP)地域・産学連携による自主・自立型実践教育とは?

現代を象徴する学生像

大学の講義は、大教室で教員が一方的に講義を行うケースが多いため、学生の学習姿勢は受動的になってしまいます。学生の学習に対する受動性は、高校までの学びのスタイルをそのまま引きずってしまっている結果とも言えるでしょう。自分の意見を発表することにウエイトが置かれているアメリカやヨーロッパの高校とは異なり、多くの日本の高校は主に覚えることにウエイトを置いた教育が中心となっています。そのため、学生が良い成績を取ろうとするならば、授業で教わったことを覚えてそのままテストで書けばいいということが一連の流れとして確立してしまっています。大学に入っても、長年適応してきたこの学習スタイルをそのまま踏襲してしまう学生が多いのは、考えてみれば無理からぬことかもしれません。

かつてはゴールデンウィークを過ぎたら授業の出席者が4分の1になっていたといった話をよく聞きましたが、今の学生はある意味、真面目です。多くの学生がきちんと授業に出席し、テストでもそれなりの結果を出します。GPAという評価制度も導入され、「卒業できればいい」というだけではなく、良い成績を取って卒業したいという意識もあります。でも、残念なことに「それだけ」なのです。とりあえず、出席して授業を粛々と聞いているだけで、授業中に先生が言っていることには疑問も持たない。ですから、授業中に質問や意見がほとんど発せられません。こうした「沈黙する学生」たちが学生の圧倒的多数の中間層を形成しているというのが、今の日本の大学の現実であり、残念ながら、こうした学生像は社会が求めている学生像と大きなギャップがあると言わざるを得ません。

現在の大学教育では、黙っていても学習意欲の高い層、あるいは逆に学習支援が必要な層に関しては、ゼミやフォローアップの場で対応できていると言えます。しかし、彼らは学生のほんの一部であり、学生全体の意識を変えていくには「沈黙する学生」である中間層に働きかけていく必要があります。この多数の中間層を指導していく上で一番の問題は、彼らはいろいろな意味で「見えない」存在である点です。別に手を抜こうとしているわけではないですし、単位を取ろうとする意識もちゃんとある。しかし、外から見てもどんな人間かが見えない。そして、社会から求められている人物像と大きくずれているという自己認識もなく、自分自身のことも社会のことも見えていない「迷子」のような存在なのです。