第588号(2007年10月1日発行)
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43年前の今月、東京オリンピックが開催された。この年に東海道新幹線も開業した。その頃、神田駅の中央線ホームから明大校舎・大学院の白い8階建てが遠くに望めたのを覚えている。
都心はいま高層建築が進む。秋葉原駅の山手線の東京駅寄りホーム端から23階建てリバティタワーが数年前まで見えたが、新築ビルの陰になった。水道橋駅前後の車窓からもごく限られたポイントでしか見られない。
当時、建物と庭園の調和を大切にしたモダニズム建築の堀口捨己教授が在職していた。茶室は有名で、宮中歌会始めの召人も務めた人だ。明大の3キャンパスに教育棟と庭の設計を残した。駿河台校舎の旧6・7号館等、和泉の第二校舎、生田第二校舎(工学部)1〜4号館。明大で学んだ多くの人が歴史的建築家の設計作品で青春時代を磨いたことを知らない。
故人の資料は現在、建築学科の教授が保持している。他大研究者から熱く所望されている。ならば本学の保管資料にして、ぜひ教育・研究で役立ててほしいものだ。近く「堀口捨己展」が学内で計画されている。
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