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明治大学広報
第625号(2010年11月1日発行)
《2010 夏の成果報告》
水俣・明治大学展ボランティア

「水俣から生まれるつながり」
政治経済学部3年 大西綾
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 「水俣病のサバイバーとして生きる姿を伝えたい」。今もなお水俣病に苦しむ患者さんのこの言葉をきっかけに、大学生の私も何かお手伝いできることはないか。そう思い、「水俣・明治大学展」で展示説明をするボランティアとして参加した。来館者に台本なしで40分間ほど展示内容の説明ツアーを行う役割だ。

 緊張の1回目はひどいものだった。15人ほどの来館者を前に萎縮して早口になってしまい、飛ばしてしまった展示もあった。結局30分ほどで終了し、来館者に申し訳なく思った。ベテラン説明員の方から「大西さんなりの言葉でいいんだよ。30分を次は35分にしたらいい」と声をかけてもらい、気持ちがすっと楽になった。説明すべきところなんて無い、自分が感じたありのままのことが伝わればいいと。

 水俣病のひとつに胎児性水俣病というものがある。母親の胎盤を経由し、先天的に水俣病の症状を抱えた赤ちゃんが生まれる。母親にどれだけの悲しみがあるだろうか。女性として人として、胸がキリキリと痛む。

 最終日、女子高校生を前に展示説明をした。「胎児性水俣病患者の智子さんは、宝子として家族から愛されました。長女である彼女が母親の水銀を背負ったことで、ほかの子供たちは水俣病の症状がなかったのです」。生きることの残酷な部分を水俣病は映しだす、と同時に、水俣病に屈しない固い結束と力をも生み出す。説明が終わって、私は初めて拍手をしてもらった。伝えたいことが伝わったかな、という嬉しさでいっぱいになった。

 水俣病は決して過去の一部分ではなく、現在も続くひとつの事実として浮かび上がる。苦しみや悲しみと共に、人々が戦ってきた爪痕や生々しくもがいた姿を伝える。「水俣・明治大学展」は2週間ほどの開催ではあったが、出会った人と過ごした時間は濃密で忘れがたいものだった。少しでもいい、あの女子高校生たちの胸に刻まれていれば、と思う。そして自分だから伝えたいこと、出来ることを、もっともっと実現していきたい。



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