教員紹介

佐々木 憲一(ささき けんいち)



——自己紹介をお願いします

 1962年,東京に生まれましたが,赤ん坊のころから京都育ちです。隣に足利家菩提寺の等持院,また金閣寺,竜安寺,仁和寺へは徒歩圏内という素晴らしい環境でしたが,高校2年(1979)の夏休みにアメリカ合衆国に引越し,そこで高校,大学,大学院を修了しました。

——昔から考古学者になりたかったのですか?

 1972年3月末に高松塚古墳壁画の発見があって,考古学の魅力にとりつかれてしまいました。また小学生ですから,「親魏倭王」の金印を自分が発見して邪馬台国論争に終止符をうとうと,今から思えば本当に馬鹿なことを考えていました。幸い,祖父の実家の水田地下に奈良時代の寺院跡が存在し,中学・高校時代は表採した瓦の分析に没頭していました。

——大学卒業後はどんな経歴を積まれたのですか?

 考古学者になりたいとの情熱から,卒業後すぐに大学院に進学しました。アメリカ合衆国では大学院に戻る前に社会人経験を積む人の方が多いので,私は珍しい例だと思いますし,大学院演習に初めて出席したときに,クラスメートに年かさの研究の猛者が多くて,経験の少ない私は自己嫌悪に陥ったことを今でも覚えています。合衆国の大学院だったにもかかわらず日本考古学を素材に博士論文を執筆したかったので,博士試験をパスした1990年2月に帰国して,都出比呂志先生のご指導を仰ぐため,大阪大学に研究生として4年間在籍,学位論文の準備をしていました。博士号は最終的に合衆国の大学から授与されました。

——現在どんな研究をしていますか?

 1999年4月に明治大学に赴任して,長野市大室古墳群と茨城県霞ケ浦沿岸の大型古墳の調査に携わるようになりました。博士論文の準備は大阪大学でしていましたので,百舌鳥・古市古墳群や奈良の大和古墳群に親しんでいた私は,地域色が豊かな東日本の古墳文化を目の当たりにして,驚愕しました。現在では,そういった東日本の豪族たちが,中央のヤマト王権のあずかり知らぬところで,自律的に動いていた様相を明らかにしようと研究しています。究極的には,メソポタミアや中国とは大きく異なった国家形成過程の理解を目指しています。

——受験生へのメッセージ

 まず大学では幅広く学ぶことが大切です。私は自分の視野の狭さを認識していましたから,——結局果たせませんでしたが——高校・大学時代は岩波文庫をすべて読破する目標に向かって頑張っていました。
また考古学に限らず大学で実践する学問は,机上で勉強する以外に現場に出かけて資料に触れることが大切となります。勉強が三次元的になって,大学で実践する学問は楽しいのですが,受験勉強以上に時間を食うことも事実です。手間をいとわない,手間暇をかける癖をつけておきましょう。

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