フランス文学専攻の代表的な授業を紹介します。
フランス文学専攻 1年 在学生
フランス史
フランス史は、広い教室で大人数で受ける授業で、前期では、フランス革命をどのように評価するか、カトリック教会と国家の人々との関係がどのように変化していったのか、工業化の進行の中で民衆の世界はどのように変化していったのか、植民地拡大政策はフランスにとってどのような意味を持っていたか、フランス国民の結合はどのように進められていったのかなど、フランスの近代史、主に19世紀からのフランス史について学び、後期は政権分離を原則としたフランスの問題について、主に旧植民地出身のムリスム系住民のヴェールの問題や、ヨーロッパ統合の進行についてなど20世紀のフランス史を勉強します。授業は先生が作ってくださるプリントで展開し、その時代に関する映画や映像もあればそれらを鑑賞したりします。大学になると高校の授業に比べて、歴史に対する見解も授業の中により多く取り入れられる様になります。また、プリントには教科書に載っていなかったような珍しい資料もたくさん記載され、歴史の裏の裏まで先生が細かく話してくださるので、とても興味深く、歴史が好きな人にはお薦めです!!また、プリントをどのような資料を参考にして作ったのか、さらに詳しい事が書いてある本の題名などをプリントに記載してくれるので、読みたい本があればすぐに見つけられるのでとても便利です!!
フランス文化基礎研究 (担当 陣野 俊史 講師)
フランスの文化と聞くと、芸術や宗教、衣食住など生活形成について学ぶのかと思いますが、この授業ではフランスのメインカルチャーではなく、主にサブカルチャーを通じて、フランスについて学ぶものです。前期にはフットボール(サッカー)を、後期にはヒップホップを取り上げて、それらがフランスにとってどのような影響を及ぼし、どれだけ大切なものか学びます。私はフットボールについてあまり詳しくなかったので分かるかどうか心配だったのですが、この授業では映像を通して選手の名前と顔を確認したり、チームの素顔を探ったり、フランスリーグの試合だけでなく、丁度行われている試合(今年はコンフェデレーションズカップなど)や歴史的なゴールの瞬間を見たりするので、あまり詳しくない人でも楽しく分かりやすく学ぶ事が出来ます!!何か見たいシーンやリクエストがあれば、自分で持ってきた映像を授業中に見る事もできます!歴史やクラブチームについて学びながら、フーリガンの活動や人種差別問題にも触れ、選手がテレビで政治に対して何か抗議したり、歌手が歌の歌詞を通して社会に何か訴えることで国民に政治的影響を及ぼしたりするなど、私達の国では考えられない様な事がフランスでは当たり前だという事も知る事ができ、フットボールや歌がフランスの政治や社会とどれほど密接な関係にあるものなのかがよく分かります!!
フランスのヒップホップも授業でたくさん聞けるので、とても楽しいです!!
フランスのヒップホップも授業でたくさん聞けるので、とても楽しいです!!
フランス文学専攻 2年 在学生
初級フランス語作文A (担当 根本 美作子 教授)
語学を学んでいる者なら誰しもがやがて、アウトプットの必要性に迫られるはずである。最もそれは、必要性に迫られる以前に当然学ぶべきことであるし、フランス文学専攻の卒論はフランス語を使うことになるので「我々にとってこの授業は必修であって然るべきもの」と私なんかは捉えている。アウトプットとはもちろん、話すことや書くことであるが、この授業では書くことが中心となっている。教科書やプリントを使って授業が進められ、生活していて必要な基本的な単語や言い回しを数多く扱うことになる。その上でテーマを設け、それに沿った作文を書くのだが、ここで気づかされるのは、フランス語的な表現と日本語的な表現の驚くべき違いである。つまり、一見簡単な作文であってもいざ書いてみると何かしら間違っている。正確には間違っているわけではないかもしれないのだが、フランス人ならそうは言わない。そういった違いである。これは我々が日本語にあまりに固執する余り、フランス語をも日本語と同じ発想で考えている、ということの現われではないだろうか。そうではなくて、フランス語にはフランス語的な発想があって、それを学ぶためには日本語的な発想を一度0にする必要があるのだということをここで痛感することになるであろう。
フランス文学講読A (担当 小島 久和 教授)
今度はインプットの授業。言わずもがな、聞くこと読むことである。1年時でフランス語の文章をいくらか読んできたが、フランス語で書かれた物語を1冊まるまる通読するのはこれが初めてのことだ。タイトル、ずばり『LE PETIT PRINCE』である。日本では『星の王子様』として広く親しまれている。日本人にも馴染み深いこのサン・テグジュぺリの作品、子供向けの作品かと思いきや、案外それだけではないことが少しずつ見えてきた。これだけ長い間支持されるのには、やはりそれだけの根拠があるのだ。その根拠や物語の内容はまだ読んでいない人に申し訳ないのでここでは割愛させていただく。原文でじっくり味わっていただきたい。
授業であるが、途中で出てくる表現や文法事項に解説を加えながら原文を読み進めていく。この定冠詞はここではなぜこうなのかといった、やや難しいことも授業では解説されるが、それよりも、美しいフランス語に直に触れることができるのが魅力的である。
フランス文学専攻である以上、フランス語で書かれた文章に今後バシバシお目にかかることは必然である。それらをどのように読むかということを学ぶきっかけにもなるのではないだろうか。なにより、フランス語で書かれた本を読んだことがあるという事実はきっと、自信につながっていくはずである。
授業であるが、途中で出てくる表現や文法事項に解説を加えながら原文を読み進めていく。この定冠詞はここではなぜこうなのかといった、やや難しいことも授業では解説されるが、それよりも、美しいフランス語に直に触れることができるのが魅力的である。
フランス文学専攻である以上、フランス語で書かれた文章に今後バシバシお目にかかることは必然である。それらをどのように読むかということを学ぶきっかけにもなるのではないだろうか。なにより、フランス語で書かれた本を読んだことがあるという事実はきっと、自信につながっていくはずである。
フランス文学専攻 3年 在学生
フランス文学演習 (担当 合田 正人 教授)
私(たち)が経験した授業は、文化を普段の生活から切り離された出来事として研究することでも、ある作家の特定の作品を、過去に書かれた偉大な書物として称揚することでもなく、また過去に起こった様々な事柄や物を知識として集めることでもありません。扱う対象を通して、私(たち)の内側にある潜在的な知性を、顕在化へと向かわせる可能性の体験としての場であるというものです。ヴェルコールの『海の沈黙』、ミシェル・トゥルニエの『魔王』、サルトルの『蝿』、ナチス占領下のフランス映画という事象(特殊研究)、また詩人アンリ・ミショーの作品やシュペルヴィエールの人と作品、映画監督アラン・レネ(文学演習:田母神先生)、作家ジャン・ジュネ(文学演習:合田先生)…。それらはすべて過去の遺産ではなく、生々しい現在として絶えず私に揺さぶりをかけてきます。それらは決して歴史の遺産という不動の過去の遺物などではありません。そのつどたち現れては消え、たち現れては消え、しかしある瞬間に現在と重なり合い、私(たち)の目の前にふと姿を現す。
そのとき私が目にする世界はそれまでとは異なった容貌を呈するでしょう。それは世界が変わったのではなく、私が変わる瞬間でもある。研究とは、演習とは出会いの体験であり、それにより変わるかもしれない私の可能性の体験でもあるのだと思います。私がこの文章を書くにあたり、あえて各授業ごとにそれぞれの内容を紹介するだけにしたくなかった理由はここにあります。いずれの授業も説明、発表、講評という形をとり、取り上げた作品や人物、事柄の時代背景や、作品に書かれた言葉の解釈や意見、または受講者たちのディスカッションをおこないながらも、異なった領域、異なった時代を生きる事柄や作品とわたし(たち)が、ひそかに出会うことを期待し、出会いそのものを歓待しているからです。
特殊研究であるからといって、何も特殊なことを取り上げているわけではありません。文学演習であるからといって、何も作品のみに立て篭もるわけではありません。外に拡がるさまざまな言葉や物に接し、いつくしみ、時に批判したりして、また立ち止まったりしながら、それ以前の自分とは異なる何かに変貌してゆく課程を体得していく。授業に求められるのはそうした可能性を探る自らの態度に他なりません。それこそが好奇心というのでしょう。私はそう思います。
そのとき私が目にする世界はそれまでとは異なった容貌を呈するでしょう。それは世界が変わったのではなく、私が変わる瞬間でもある。研究とは、演習とは出会いの体験であり、それにより変わるかもしれない私の可能性の体験でもあるのだと思います。私がこの文章を書くにあたり、あえて各授業ごとにそれぞれの内容を紹介するだけにしたくなかった理由はここにあります。いずれの授業も説明、発表、講評という形をとり、取り上げた作品や人物、事柄の時代背景や、作品に書かれた言葉の解釈や意見、または受講者たちのディスカッションをおこないながらも、異なった領域、異なった時代を生きる事柄や作品とわたし(たち)が、ひそかに出会うことを期待し、出会いそのものを歓待しているからです。
特殊研究であるからといって、何も特殊なことを取り上げているわけではありません。文学演習であるからといって、何も作品のみに立て篭もるわけではありません。外に拡がるさまざまな言葉や物に接し、いつくしみ、時に批判したりして、また立ち止まったりしながら、それ以前の自分とは異なる何かに変貌してゆく課程を体得していく。授業に求められるのはそうした可能性を探る自らの態度に他なりません。それこそが好奇心というのでしょう。私はそう思います。
フランス文学専攻 4年 在学生
フランス語学特殊研究 (担当 杉山 利恵子 教授)
仏文の授業では、1・2年の時は週に2回の文法の必修授業があります。3年ではより専門的な、講読や作品研究の授業が中心となり、文法の必修授業はなくなります。この授業は、「特殊研究」という難しそうな印象を受ける名前ですが、内容は簡単に言うとフランス語の一歩踏み込んだ授業という感じです。フランス語という外国語を勉強するのは、やっぱり日本人の私たちには難しく、「なんで?」と思うこともたくさんあります。例外もたくさんあるし、テストは丸暗記!という感じ。この授業では、この「なんで?」の謎を解きます。例外も含めて、どうしてこの時制になるのか、どうしてこの表現になるのかといった謎が、授業を追うごとに分かるようになっていきます。「なんで?」が「そうか!」に変わる瞬間がとても楽しみです。さらにこの授業の魅力は、フランス語だけでなく日本語までも勉強してしまうところです。フランス語の場合、日本語では?普段何も考えずに使っている日本語からも考察することによって、日本語との共通点も見えてくる上に、フランス語への理解も深まるのです。意識していなかった日本語も、丸暗記していたフランス語も理解できてしまう、お得な授業なのです。そして忘れないために練習問題を解いて完璧!
講読の授業などでフランス語を読むことが多いのですが、最近ではそれが少し楽しく感じるようになりました。
講読の授業などでフランス語を読むことが多いのですが、最近ではそれが少し楽しく感じるようになりました。
フランス文化特殊研究A・B (仏文) (担当 根本 美作子 准教授)
講座の名前からは、フランスという国の文化を知り、理解することを目的とする授業だと思われるかもしれません。しかしこの授業は、文化とは何かという問いから、国や地域といったような文化の空間的な差異だけではなく、その時間的な差異、流動性を認識し、自らの文化を異文化として眺めることを出発点とします。そこで特に、「表象」という概念をテーマに、私達が親しんでいる映像文化について学んでいきます。
授業中は、先生が文字資料や映像作品などを使って解説してくださいます。前期では、ミシェル・フーコーの『言葉と物』を参照して時代による物事の認識の流動性を確認し、ヨーロッパにおける芸術の概念の歴史的変遷をたどり、プラトンのミメシス論にも触れながら、最終的に映画と写真に話を進めます。このように、扱う内容は広く、また決して簡単なものではありませんが、全て表象文化論とは何かを考える上で重要な要素であり、それらを体系的に知ることができます。
またこの講座は、フランス文学の学生だけではなく、他専攻の学生にも広く開かれています。授業中や授業の最後に、先生の提示した問題について、学生が様々な視点から意見を交換することもあります。もしもこの「異文化理解」に興味を持たれたのであれば、ぜひあなたの意見でより授業を活発化させてください。
授業中は、先生が文字資料や映像作品などを使って解説してくださいます。前期では、ミシェル・フーコーの『言葉と物』を参照して時代による物事の認識の流動性を確認し、ヨーロッパにおける芸術の概念の歴史的変遷をたどり、プラトンのミメシス論にも触れながら、最終的に映画と写真に話を進めます。このように、扱う内容は広く、また決して簡単なものではありませんが、全て表象文化論とは何かを考える上で重要な要素であり、それらを体系的に知ることができます。
またこの講座は、フランス文学の学生だけではなく、他専攻の学生にも広く開かれています。授業中や授業の最後に、先生の提示した問題について、学生が様々な視点から意見を交換することもあります。もしもこの「異文化理解」に興味を持たれたのであれば、ぜひあなたの意見でより授業を活発化させてください。