Go Forward
2013年05月20日
明治大学
自己決定権と相談
学生相談室 相談員
法学部教授 浦田一郎
憲法学で自己決定権が強調されるようになってから、久しい。自己決定権は自分のことは自分で決める権利である。自己決定を妨害されないという自由権や、自己決定が可能になるような条件の整備を求める国務請求権・社会権にまたがって考えられている。憲法では13条の幸福追求権によって根拠づけられることが多い。人によっては、自己決定権を人権やさらに憲法の中核にすえるほど、自己決定権は重視されることもある。日常生活でも、自己決定は重視されるようになっている。私も自己決定権は大事だと考えている。
ところが、その自己決定権の実際の内容として、人に相談せず、一度に決断するようなことがイメージされている場合が少なくない。そうだとすれば、自己決定権は怖いものである。そして、その結果について責任を問われる。自己決定・自己責任という新自由主義の考えかたも、加わっているのであろう。そうすると、責任を問われないような曖昧な返事をするようになる。「……とか」、「……なのかな」、「……とは思う」のような言いかたである。
本当は自己決定は社会関係のなかで時間の経過とともにすることではないであろうか。人に相談し、人の意見を聞きながら、そのうえで自分で判断するものであろう。また一度やってみてうまくいかなければ、修正しやり直す。人に相談し、何度もやり直してみる。これが自己決定のあるべき姿だと思っている。
ところで自己決定権は法的、形式的な議論である。自己決定の内容を正当化するものではない。講義のときに教室で帽子を被ることも、自己決定権に属するであろう。帽子を被ることを法律で禁止し刑罰を課すことは、自己決定権を侵害し直接あるいは間接に憲法問題になるであろう。しかし、講義のときに教室で帽子を被ることが自己決定の内容として正当かどうか、これは社会的なマナーとして適切かどうかという問題である。そこでも、人と相談しながら、失敗を重ねつつマナーを身につけていかなければならない。
人に相談し、やり直すことも、人の大事な能力である。