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2013年07月10日
明治大学
笑う顔には
学生相談室 相談員
法学部 教授 山口 政信
子どもは1日に300回ぐらい笑うそうです。今日、あなたはどれほど笑ったでしょうか。
朝、顔を洗うとき、誰もが自分と出会います。鏡を見る所作は無意識でも、何らかの志向がはたらき、何がしかの言葉を交わしています。「目が腫れぼったいな」とか、「少し○○かな」と。
生まれたばかりの赤ちゃんのまぶたは腫れぼったく、顔はしわくちゃです。が、誰もが「エンジェルスマイル」という一瞬の笑みに、期待と額を寄せてのぞき込みます。この赤ん坊の笑顔こそが、人間の本性を表出した「生得の笑い」です。笑顔という生きるための術を、ことわざは「笑顔に当る拳はない」と伝えています。
さて、古事記には「八百万の神、共に咲(わら)ひき」とあります。咲くと笑うの間には、イメージを喚起して余りある比喩力が宿っています。その笑いの起点の一つに、自己概念との不一致があります。結果としての笑いは不一致の解消、つまり気づきという一致によって生じます。
わかる(分かる・判る・解る・別る)も、不一致から一致への転移・架橋によって生まれます。とりわけ〈別る〉には、こだわっていた自分との決別の意味が、強く込められています。
笑えばセロトニンといった快感につながる神経伝達物質が放出され、さらなる学びへと結びつきます。脳が笑えば学びの効力感が増し、笑いの種は表情・ことば・行動へと外面化します。果実が熟して割れることを〈割(わら)う〉〈笑む〉というのも、うなずけようというものです。
笑いは花が咲き殻が破れることですから、不一致という〈こわばり〉を受容すれば、笑いという変容への期待が高まります。この理を大上段から断じれば、〈笑いは葛藤の末に生じた自己概念の崩壊=解放である〉となります。
結びに際し提案があります。それは、鏡を見ながら「ハッハ・ホホホ」という呼気にポイントをおいた発声を、続けてみることです。そして他者を〈嗤(わら)う〉のではなく、〈バカだねー〉と自分を笑い飛ばしてみて下さい。「笑う門には福来る」「笑う顔にはふぐ来る」といいます。笑いは免疫力を高め、暮らしに潤いをもたらしてくれるからです。