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学生相談室

「相談室の窓から」~直接体験喪失の時代に~

2013年09月20日
明治大学

 「直接体験喪失の時代に」

                                         学生相談室 相談員
                                          文学部 教授 清水あつ子

20世紀後半に米国で活躍した日系二世のなかに、言語学者であり上院議員でもあったサミュエル・ハヤカワ博士がいる。専門の一般意味論での著作の他に、博士にはまた子供とのコミュニケーションや教育などについての示唆に富むエッセイも多数あり、障がいを持つ次男を含む3人の子の父親の視点で書かれたこれらの文章には、保守強硬派としての政治姿勢からは想像も出来ないほどの暖かいまなざしが感じられる。

1970年代にこれらのエッセイと出会った私には、心の安定にはdirectnessとintensityが必要だとする博士の主張がひどく新鮮だった。いずれも日本語に置き換えにくい語ではあるが、directnessは「直接性」、つまり自分の行動を自らの五感で直接に体験し、その結果もまた実感できるということであり、またintensityは本来「強さ」という意味だが、これをやらなければという「熱意」や「切実さ」にあたるだろうか。その当時にも「五月病」と呼ばれる現象は既にあったが、これはまさに受験のdirectnessとintensityがともに失われた結果だったのかと納得がいった記憶がある。

学生相談員となって2年余り、忘れかけていたこの二つの要素について考えることが多くなった。1950年代の米国でテレビに子守をされて育つ世代に対する博士の懸念が、インターネット時代の学生たちにはさらにみごとに当てはまるではないか。実は学生だけでなく、デスクワークに追われる我々大学人とて同じことだろう。夜明けとともに野良に出て日没に家に戻るというような、切実な生存を賭けた直接体験の暮しから遠ければ遠いほど、健やかでいることは難しいのかもしれない。

「友達ができない」「やる気が出ない」という訴えが相談室ではよくあるが、人間同志のコミュニケーションさえメールという間接手段が主体となり、切実な目的がないままの学生生活の中で学業がどういう意味を持つのか実感できないという、directnessとintensityの欠如をその背景に見ることもできよう。

相談室を訪れる学生たちに対して、まずは親身になって話を聴くことが出発点だが、臨床心理士でもカウンセラーでもない素人の私が、彼らのdirectnessとintensityの回復のために教員だからこそ出来ることは何か、それを模索しつつ過ごしている。