Go Forward
2016年04月20日
明治大学
『「近頃の若い者は!」の無限ループ』
学生相談室 相談員
商学部専任講師 鴨井祐二
昨今、学会やら研究会等で、同年代の人達と顔を合わせる度に、「最近の院生は、全然勉強してない。こんな基本的な論文すらフォローしてない。」と言い合うことが多くなってきました。その度に「そういうことを言い始めるようになったら、立派な年寄りだ!!」と突っ込みあったりしています。「近頃の若者は、○○」的なものは、いつの時代でもある、世代間のギャップを象徴する大人のセリフです。当然のことながら、自分が若い頃にも当時の大人に、「近頃の若い者は…」と言われていました。これを、簡単に世代間のギャップと済ませないで、実際に現世代には旧世代の何かが足りていないと思ってみましょう。
各世代毎に何かが足りないと言われ続けているはずだから、思いっきり時代を下って、縄文時代位と対比してみれば、多分こんな感じではないでしょうか。縄文時代は、狩猟生活をしていたようですから、縄文人のご先祖様には、現代人に失われてしまった狩りをする上での能力とか、勘どころを持っていたことでしょう。それを以てして、「現代人の子孫どもは、生活の糧を得る為の能力すら失われてしまったのか。なんと嘆かわしい。」とでも言われたらどうでしょうか。「ご先祖様の言うことは一々ごもっとも、確かに現代人は情けない。」という人も中にはいるかも知れませんが、大抵の人は、「いやいやご先祖様、何千年かの人類の進歩のおかげで、縄文人の超能力無くしても、現代では生活の糧が得られるようになったんですよ。どうです素晴らしいでしょう。」とでも言うのではないでしょうか。数千年のスパンを空けてみれば、隔たった世代間のギャップが何かと言うのは、明らかでしょう。当時に無くて、今在るものを挙げていけば良いだけのことです。しかし、時を隔てて今在るものは、その時々の世代間のギャップの積み重ねによるものです(?)。そして今現在も、「近頃の若い者は、」と言われ続けているわけですから、着々と世代間のギャップは、積み重なっていることでしょう。
さて、我々が学生の頃には無くて、近い将来に今の学生が大人になったときには、在るものの元とは、今現在の何なのでしょう。現在の社会状況の中にあるのか、今の学生の皆さんの日常生活の中にあるのか、あるいは、大学で学んでいくことの中から見つけるのでしょうか。旧世代の私には、わかりません。
ところで、現代は進歩したんだと言われた縄文人ご先祖様はなんと答えるでしょうか。「進歩だか何だか知らないが、能力無くしたもんは、無くしてるではないか。」と言うのではないでしょうか。そうしてやはり今の年寄り病罹患者も、「無いものは、無いではないか。」と言い、斯くしてループ終了条件は、満たされず次世代へと続く。