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マンドリン倶楽部ベトナム公演レポート全文公開

手ごたえを感じた慰問公演







外岡 克朗(法4)

今回のハノイ演奏旅行、外面は主将として堂々とふるまったつもりだが、おそらく一番緊張していたのは私だっただろう。

自身初の海外旅行体験であり、様々な必要以上の心配に苛まれ、あれもこれもとバタバタ準備して日本を旅立った。壮行式に行く途中にあわてて買った巨大な電源の変換プラグは、結局未開封のままである。

行きの飛行機で幸いにも窓際の席をゲットした私は、5時間半の長いフライトも終盤に差し掛かる頃、厚い雲を抜けた瞬間に広がる地上の光景に息を飲んだ。どこまでも広がる森、不気味に蛇行する茶色の大河、密集する赤い屋根の家々…。

テレビでは毎日のように海外の映像を見てはいるが、現に今、目下に広がるあまりに日本とかけ離れたこの光景に、“本当にこんな世界が地球上に存在するのだ”ということを強烈に意識させられた。このとき目に焼きついた光景はおそらく一生忘れることはないだろう。

2日目、全盲障害者学校への慰問演奏。我々の演奏前に生徒たちが民族楽器での素朴で美しい演奏、歌を披露してくれた。その後、おそろいの水色Tシャツで登場した抜粋メンバーで数曲演奏。ゲスト歌手の角田和弘さんのすばらしい熱唱も加わり、温かい拍手で迎えてもらった。

3日目、ついに今回の旅行のメイン、AUCOホールでの演奏会である。スタッフとの言葉の壁に悩みながらも、何とか無事終了。噂には聞いていたが、終演後にみんなで手を振り合い、お客さんがステージになだれ込んでくるスタイルには驚いた。とても温かいステージにできたのではないだろうか。

4日目、枯葉剤爆弾被害者施設への慰問演奏。枯葉剤という馴染みのないものの意味、ベトナムでの現状を事前にガイドさんから聞いて、良い緊張感で臨んだ演奏は、旅行の中で一番良い手ごたえのあるものとなった。演奏終了後に、例のごとくステージになだれ込んできた子供たちがプレゼントしてくれた手作りの造花は、今、パソコンに向かう私の目の前に華やかに咲いている。一輪だけ日本に持ち帰った宝物である。

最終日は終日片道4時間かけ、世界遺産ハロン湾のクルーズ。素晴らしい景色を楽しんだ。その後、行きと同じノイバイ国際空港へ、深夜から飛行機に乗り爆睡、帰路についた。

今年は倶楽部創部90周年ということもあり、例年にない数の演奏会に恵まれ、ハノイへ出発したのも、まさに夏の演奏旅行の疲れをひきずったまま、いつ誰が体調を崩してもおかしくない状況であった。そんな中、お腹を壊した部員が何名か出たものの、現地で病院沙汰になるような大病人が出なかったのは、快適な旅にしてくれた温かいガイドの方々、引率してくださった先生、先輩方、日本から応援してくださった皆さまのおかげだ。ここで深く感謝申し上げ、最高の思い出になったベトナム演奏旅行紀行を終わらせていただこうと思う。

温かい拍手が一生の思い出に

マンドリンの音色が響き拍手喝采のベトナムハノイ

佐藤 美和(経営1)

9月12日から始まった7日間にわたる海外演奏旅行。

ベトナムを訪れたのは、これが初めてだった。また、この演奏旅行は、私がマンドリン倶楽部に入部した理由の1つであり、前々からとても楽しみにしていた。

現地では様々なことを体験したが、中でも特に印象に残っているのは盲学校での慰問演奏とハノイ公演である。

慰問演奏は、部の抜粋メンバーで演奏したため、1年生である私は客席で観ていた。

初めに盲学校側の演奏があった。学校の中でも少し光が見える生徒たちによるものであり、ギターのほかに初めて見た楽器もあった。実際に演奏が始まると、彼らはまるで全て見えているかのように手を動かしていた。すごい、としか言いようがなかった。目が見えなくてもこんなことまでできるのだ、と感動した。

その後に先輩方の演奏があった。マイクはついていなかったが、どのパートからも綺麗な音色が聞こえてきて、改めて先輩方の技術の素晴らしさを思い知った。

私も出演したハノイ公演は、初の海外での公演ということもあり、いつもより緊張していた。舞台袖や客席にビデオカメラがおいてあったことが、更に緊張を倍増させた。しかし緞帳が開き、想像していた以上の人数のお客さんを目の当りにして、とても感動した。

公演が終わった後も、お客さんはしばらく拍手し続け、手を振ったりもしてくれた。ベトナムのお客さんの温かさを感じた。

今回、普段、なかなかできないことをたくさん経験できた。
この思い出は、一生忘れないだろう。