裁判所が司法権という三権の一つを担っており、国会や内閣とともに統治機構を構成しているというのは、日本では当たり前のことである。しかし裁判所には政治家がいないためかわからないが、長らく日本の政治学では、司法府を分析、考察の対象として正面からとりあげてこなかった。訳者は政治学者として、司法府も「政治」とは決して無縁でないこと、裁判官の世界にも厳然たる「官僚制」がはびこっていることなどを実証的に明らかにしてきた。そうした裁判所研究の第一人者が「日本の研究者の共有財産にもしたいと考え」訳出したのが本書である。
日本の最高裁判所はなぜ「保守的」なのか、違憲立法審査が十分機能してこなかったのはなぜなのか、客観的データと最高裁判事をはじめとする関係者への膨大なインタビューによって明らかにされる。原著者は「最高裁が保守的であるのは、究極的には政府が保守的であるためであり、同時に日本の有権者の多数もまたそうであるためである」と指摘する。研究者のみならず、学生、社会人にとっても知的財産となる一書である。
西村弥・政治経済学部講師(著者は政治経済学部教授)
日本の最高裁判所はなぜ「保守的」なのか、違憲立法審査が十分機能してこなかったのはなぜなのか、客観的データと最高裁判事をはじめとする関係者への膨大なインタビューによって明らかにされる。原著者は「最高裁が保守的であるのは、究極的には政府が保守的であるためであり、同時に日本の有権者の多数もまたそうであるためである」と指摘する。研究者のみならず、学生、社会人にとっても知的財産となる一書である。
西村弥・政治経済学部講師(著者は政治経済学部教授)