Go Forward

平和教育登戸研究所資料館 企画展 本土決戦と秘密戦

—その時登戸研究所は何をしていたか—



(写真上)石井式濾水機 濾過筒(水を濾過するためのものだが、「軍事秘密」の刻印がある。実は濾過機は「秘密の細菌戦兵器」だった)(下)左:七年式防空用防毒面(ガスマスク)、右:大月大尉(登戸研究所所員)日誌

入館料無料

登戸研究所は、1945(昭和20)年春以降、登戸(生田)から長野県伊那地方を中心とする地域に分散・疎開しました。これは、米軍による空襲とともに、同年秋以降に想定された本土決戦に備える措置でした。本企画展では右記の3点に焦点をあて、本土決戦体制下における登戸研究所の役割を検証します。

  1. 本土決戦体制は決して「幻」だったわけではなく、現実に準備されていたことを、松代大本営跡など長野県を中心とする地域の実地調査をもとに明らかにします。
  2. 本土決戦における秘密戦の実戦部隊であり、登戸研究所とも密接な関係であった陸軍中野学校(群馬県富岡に移転)の役割の変化について検討します。
  3. 本土決戦において使用する秘密戦兵器の研究・開発・生産にあたっていた疎開後の登戸研究所の実態について明らかにするとともに、次第に実戦部隊である中野学校と一体化していく過程を追跡します。
期間
11月20日(水)~2014年3月8日(土)

開館時間
10:00 ~ 16:00
※休館日:日曜日~火曜日・大学休暇期間
(団体見学事前予約の場合は日曜開館あり)

主催
平和教育登戸研究所資料館