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内閣府 第21回国際青年育成交流事業(青年海外派遣)に明大生3人が参加

エストニアとドミニカで活動

エストニアのロイヴァス首相と 宮腰教授作成の漆パネルを贈呈

内閣府の国際青年育成交流事業は、天皇皇后両陛下(当時は皇太子同妃両殿下)のご成婚記念事業として1959年にスタートし、その後、「青年の船」による青年派遣や、現皇太子ご成婚時の飛行機を利用した青年派遣・受け入れなどが行われ、2014年度は21回目を迎えた。

その目的は、日本と諸外国の青年との交流を通じて青年相互の友好と理解を促進し、青年の国際的視野を広げ、国際協調の精神のかん養と国際協力の実践力を向上させることにより、国際社会でリーダーシップを発揮できる青年を育成するとともに、青少年健全育成活動等へ寄与することにある。

本年は、ドミニカ共和国、エストニア共和国、ラオス人民民主共和国の3カ国に日本の青年を派遣し、また、6カ国の青年を日本に招へいしたが、明治大学の学生もエストニアに2人、ドミニカに1人、計3人が厳しいセレクションを経て派遣団員に選ばれ、その責を果たした。

私も、エストニア派遣団の団長としてその一端を担ったが、エストニアのロイヴァス首相(34歳)には、宮腰哲雄教授(理工学部)の作成した漆パネル(尾形光琳作、紅白梅図屏風)を贈呈することができた。

以下は、国際社会連携のひとつとも言える事業に参加した学生3人の報告である。
(副学長・社会連携機構長 藤江 昌嗣)

一瞬を一生のものに 



鈴木 芹奈(商学部2年)

本事業でのすべての体験は私の成長の糧になり、生涯の宝である。これらの経験を通して、私はエストニアという国、そこで暮らす人々について知ることができ、深い愛情を持つようになった。特に、エストニア青年と過ごしたYouth Campでは、日本青年14人とエストニア青年9人が3日間、豊かな自然の中で寝食をともにし、様々なアクティビティやディスカッションを通して友情を深めていった。エストニア青年とのディスカッションは私に、若者の力強さ、青年の社会参加の意義を教えてくれた。

また「国際青年交流会議」を通して、グローバル社会で生きるために大切なことは“素直な心を持って、相手の意見に耳を傾け、それに尊敬の意を示す”ことであると知った。一見普通なことではあるが、それを貫くことにこそ意味があると実感した。24日間は一瞬にして過ぎ去ったが、そこで見たもの、体験したものすべてを人生のエッセンスにしていきたい。

一番の収穫は“人の出会い” 



横須賀 玲奈(商学部2年)

国際交流事業エストニア派遣団の一員として私は、首相やエストニア議会議員への表敬訪問等を通じ、小国であるがゆえの、自国の若者への期待や熱意を強く感じました。

印象に残っているのは、現地青年との文化交流とディスカッション。キャンプでは、お互いの文化を知るだけでなく体感し、特に青年の社会参加に関するディスカッションやグループワークではチームワークや視点の違いを学び、夜や空き時間にはお互いの国のことなどを教え合ったり話し込んだりと、かけがえのない時間を過ごしました。お別れの最終日には双方とも涙を流し、また会うことを約束しました。

この事業においての一番の収穫は、“人の出会い”です。元気で刺激を与え合えるような日本の参加青年を含め、お互いに学び合った6カ国からの青年たち、そして事業を通じてお会いできた方々など、バックグラウンドの違う人たちとの交流は、自分の可能性や世界観を広げる機会となりました。

一過性で終わらない活動の必要性 



石川 皆実(国際日本学部3年)

ドミニカ共和国派遣団員としての18日間のプログラムにおける私の目標のひとつは、日本人にあまり馴染みのない同国で日本が果たしている役割、今後果たせる役割を考えたいということでした。今回、学校、日系人社会、日本企業の工場、広島東洋カープアカデミー、アニメ・漫画など、日本が同国の発展や友好に関わっている場面を多く見つけることができました。

中でも印象的だったのは、セマドハ病院の視察です。同病院は1999年にJICAプロジェクトの下で建設され、日本人医師や日本製機器を導入して医師の質向上とより廉価な治療を達成しました。サントドミンゴ市内では見かけない多くの人々(貧困層が多い)の来院の様子や医師の話を聞いて、2004年のプログラム終了後も自立した病院として機能し、地元さらには中南米の医療を支えていることに感銘を受けました。

日本が海外に協力する際、また自分が今後何か活動をする際、このような一過性で終わらない方法を考える必要があると強く感じました。