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大学教育に何が求められているのか

副学長(教務担当) 千田 亮吉

キャンパスでリクルートスーツ姿が目立つ。昨年度より2カ月前倒しになりこの6月1日から選考が始まる就職活動で、学生がまず頭を悩ませるのはエントリーシートを埋めることである。エントリーシートの項目でどの企業でも必ず訊いているのが「学生時代に力を入れたこと」で、ここに「毎回授業に出席してしっかり勉強しました」などと書いてもあまり評価されない。採用する側は、大学での学習の理解度、つまり現在はGPAで表される成績の良し悪しにはあまり関心がなく、文系・理系などの専門分野によって状況は異なるにしても概して通常の授業での学習以外に何をしたかを知りたがっているようだ。例外は、最近アクティブラーニングと呼ばれるようになったゼミや研究室の活動あるいは少人数のグループワーク中心の授業などだが、現在それらは学生が履修する科目のごく一部に過ぎない。それにも拘わらず、授業時間あるいは学習時間の確保、シラバスに沿った体系的授業、授業評価の実施、成績評価の厳格化、卒業時の質保証など、授業に関して大学に求められることは増える一方である。

いったい、世の中は大学の授業に何を期待しているのか。ちょうど1年ほど前に文部科学省の「文系学部廃止」論が物議を醸した。「文系学部はもっと役に立つことを教えろ」というこの議論は昨年から突如始まったわけではないが、昨年の通知に対しては多くの批判が浴びせられた。このような議論の背景には「文系学部で教えていることは役に立たない」という世の中の思い込みがあり、文部科学省の一連の大学行政は単にそれを反映したものともいえる。また、「役に立たない授業の成績は問題でない」ということで、就職活動における企業の姿勢も理解することができる。ただし、この通知に対しては経団連などの産業界も異議を唱えているので、就職活動で企業が大学の成績を気にしないのは、授業内容が役に立たないと思っているからではなく成績評価を信用していないからなのかもしれない。そこで、大学の授業や成績評価についていろいろ注文がつくことになる。

大学として考えるべきことは二つある。まず、授業の目標や成績評価について基準を明確にするとともに、より広く学習成果について「卒業時の質保証」という形で社会に向けて公表していくことが求められる。次に、授業の内容や方法であるが、知識の伝達という役割を担う伝統的なスタイルの講義に対する期待があまり高くないように思われる一方、アクティブラーニングという形式であれば扱う素材に関わらず、コミュニケーション能力や問題発見能力などの育成につながると期待されている。しかし、基礎的知識の修得を欠いた状態では形式だけで中身が伴わない。例えば、パワーポイントはきれいにできているが内容はどこかで聞いたことばかりのプレゼンテーションを見せられるような結果になってしまう。アクティブラーニングを効果的に行ううえでも、講義の重要性を再確認することが必要である。知識の修得とアクティブラーニングの組み合わせを通じて先人の叡智を広く学ぶことによって、多様なものの見方を修得できるようになり、他者を尊重しモラルを保ちながら自分の意思決定ができるようになる。卒業後の長い人生のなかで、一人ひとりの学生にとって「役に立つ」のはこのような的確な判断を下す能力の修得ではないだろうか。
(商学部教授)