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数学による学際研究

副学長(研究担当) 小川 知之

「忘れられた科学-数学」というのは文科省・科学技術政策研究所がちょうど10年前にまとめた提言である。以来、数学・数理科学と諸科学・産業との融合研究が推奨されるようになってきた。科学技術振興機構のCRESTの研究領域に数学を中心とした融合研究が、初めて、しかも二期続けて選ばれている。実際、数学と医学、数学と生理学、数学と社会科学などの融合研究に関する新聞報道もよく目にするようになった。

さて、数学者のトレーニングは伝統的にセミナー形式で行われることが多い。与えられたテーマ(論文など)に関してあらかじめ準備してきた発表者は、何も見ずに聴衆に向かって説明する。手に持つのはチョークだけである。発表者と聴衆の間で共有するのは、発表者が黒板に書いてその場で納得し合った事項のみである。数学的な主張は、論理を積み重ねていくことで確認することができるので、できるだけself-containedであることが求められる。だからこのようなトレーニングを受けた数学者は、いつでもどこでも誰に対してでも専門的な話を解き明かすことができる。そのようなわけで、セミナー形式のトレーニングというのは究極のアクティブラーニングとも言える。これはとても時間とコストのかかる作業であるが、数学を研究するには不可欠なものと考えられている。

ところで、このセミナー形式は、19世紀初めの新人文主義革命期のドイツ(プロシア)で確立したと言われる。19世紀のドイツ科学の急速な発展は、諸外国の大学制度の規範となった。もちろん日本の大学制度もそのうちの一つである。またこの時期に数学者ヤコビは「人間精神の栄誉のために」応用の視点から解放された数学、いわゆる純粋数学を推奨し、それゆえ数学は非常に高いレベルに到達した。そのかわり応用数学の地位は低くなり、数学は孤高の道を進むことになる。

一方英国では、数学者G・H・ハーディのように応用との関わりを潔しとしない見方はあるものの、全般に応用数学の地位は低くはなく、数学と諸分野の融合研究を育む土壌があったようだ。実際、アラン・チューリングなどの優れた数学者からなるブレッチレーの暗号解読チームがドイツの強力な暗号エニグマを解読したことは有名である。トマス・ヤングは光学や弾性体力学で著名な物理学者であるが、一方で、ロゼッタ・ストーンのヒエログリフ解読に一役買っている。ウィリアム・トムソン(ケルヴィン卿)なども非常に学際的な物理学者である。

学際研究奨励や教育改革などは、世界の枠組みや時代背景、それに伴う大きな思想から動機づけられるべきもので、小手先の改革であってはならない。数世紀に渡る世界の大学制度の検証も行って欲しいものである。

(総合数理学部教授)