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「大塚初重、90歳—掘った 考えた 生きた—」を開催

埼玉県原山古墳群の発掘調査(明治大学博物館蔵) みなぎる考古学への愛情を披露した大塚名誉教授

明治大学の生涯学習機関リバティアカデミーは9月24日、考古学の大家である大塚初重名誉教授を招き、秋期オープン講座「大塚初重、90歳—掘った 考えた 生きた—」を駿河台キャンパス・アカデミーホールで開催した。まもなく90歳を迎える大塚名誉教授が、考古学者という立場を越え、自らの人生について語る初めての機会とあって、ファンや学生ら約700人で会場は埋め尽くされた。

進行役を務めた石川日出志文学部長の紹介で登壇した大塚名誉教授は、大正15年/昭和元年生まれの生い立ちに触れながら、「昭和は戦争の時代」と自らの戦争体験について話題を展開。太平洋戦争の影響で商業学校を繰り上げ卒業してから海軍・横須賀海兵団に入団し送った過酷な軍人生活。米軍潜水艦に二度も撃沈されながらも九死に一生を得た経験などを語り、「とにかく生きたい一心だった。大変な時代だった」と当時を振り返った。

続いて、終戦直後の1946年、明治大学文科専門部地理歴史科の夜間部へ入学し初めて学んだ考古学、そして恩師・後藤守一教授、杉原荘介教授との出会いについて紹介。当時、商工省特許標準局(現在の特許庁)で働きながら大学に通っている大塚名誉教授が、登呂遺跡の発掘調査へ参加するために、「病院に頼み込んで診断書を書いてもらい、長期休暇を取り付けた」エピソードや、後藤先生、杉原教授と入れ違いに1年間で26回も出かけた発掘調査の思い出など、考古学にどっぷりと浸かっていく様をユーモア溢れる表現で披露した。

後半には、自身の代表的な発掘事例についてスライドを用いて解説。「自分の発掘調査の結果が、日本さらには東アジア全体の歴史の解明につながる醍醐味がある」「地域の協力を得ながら、先生らと寝食を共にし、調査をする考古学には人間の情愛が溢れている」など、その魅力について言及した。最後は、「90歳までやってもまだまだ飽きない。学生諸君も“自分で掘るんだ”という気概と情熱をもって続けていってほしい」と、未来の考古学者へ向けてエールを送った。