父親について息子が語つたものとしては、吉田健一や中村真一郎などの文章を忘れるわけにはいかない。いづれもひとりの人間として父親に相対した息子の筆になる名品と言つてよい。
いまその列に加はつたのが福田逸(敬称略)による父・恆存の回想記である。福田恆存といへば、明晰な思考と骨太の名文をもつて知られる批評家であり、劇作家、翻訳家、演出家であるとともに、いはゆる保守派の論客でもあつた。福田逸はその父の影響を受けつつ翻訳の筆を執り、文章を書き、演出をし、劇団を運営した。来年春に明治大学を去る福田逸が最後の年に書き下ろした本書は、ただ本人にとつて重要な仕事といふにとどまらず、現代の文学や演劇の貴重な証言たりうる記念碑的作品となつた。恆存からの手紙を最初に置き、大岡昇平や吉田健一ら鉢木会の会員との軋轢と友情を中心に据ゑ、晩年の恆存との愛憎半ばする葛藤を最終章で描きつくすといふ構成も見事ながら、福田逸の品格のある文章は特筆に値する。父親論としても出色の出来栄えである。
高遠弘美・商学部教授(著者も商学部教授)
高遠弘美・商学部教授(著者も商学部教授)