かつて「末は博士か大臣か」というフレーズがあった。明治以降に言われたとされるが、古代でいえば学者と官人が身位を極めるという意味。大学の視点からみる博士は、まぎれもなく将来の明治大学を背負って立つ人材である。2008年度から4年間、大学院長を務めた。「学としての明治を創れ」という木村礎元学長の「遺言」も後押しした。幸いにも納谷美学長らの支援もあり、はじめて大学院の教育研究費が充実した。
また、グローバル・フロントが建設され、院生の研究環境が格段に改善された。
ところが、最近は教育研究費が減っていると聞く。何とかせねばと思っていたところ、同僚だった石川日出志さんから、院生研究資金創立の話があった。捨石として応ずることにした。
最終的には、研究費を受給した院生諸氏が就職して、後輩の院生の研究のために寄付するという循環になればと、夢見ているこの頃である。
また、グローバル・フロントが建設され、院生の研究環境が格段に改善された。
ところが、最近は教育研究費が減っていると聞く。何とかせねばと思っていたところ、同僚だった石川日出志さんから、院生研究資金創立の話があった。捨石として応ずることにした。
最終的には、研究費を受給した院生諸氏が就職して、後輩の院生の研究のために寄付するという循環になればと、夢見ているこの頃である。