Go Forward

ズームアップ 第583回「最後まで戦い抜いた不器用なレスラー」

レスリング部 米川 優人



「すごい所に来ちゃったな」。煌々(こうこう)と照らされる場内に、マット際に控える大勢の報道陣。五輪選考にも関わる天皇杯全日本選手権で、米川優人(農4=八千代松陰)は10年間の競技生活に終止符を打った。

絵に描いたような〝不器用〟だ。大学スポーツで各部を縁の下で支える主務。チームマネジメントや外部とのパイプ役など、仕事は多岐にわたる。「次から次に出てくる仕事を一気にやろうとしてパンクして」。レスリング部主務の米川も練習と両立しながら、主務業に奔走した。
一方、競技面でも思い悩んだ。米川の階級は最重量の125キロ級。選手数が少なく、団体戦のリーグ戦では一つ下の97キロ級と統一される。97キロ級には、10年ぶりインカレ王者に輝いたエース・二ノ宮寛斗(営3=岐南工)が在籍。「練習でやっても格が違う。チームが勝つにはニノが出て当然」(米川)。言葉とは裏腹に、結果が残せない自分がもどかしい。就職活動の合間に練習を重ねる日々。1カ月後の東日本学生春季選手権で優勝を果たし、天皇杯への切符をつかんだ。

同期が引退試合を終えた後も、黙々と練習に励んだ米川。「中1の時は本当に弱くて、でも最後に全日本の舞台に立てた。最後までやり切ってくれた」(永井基生主将・営4=八千代松陰)。引退試合は0—5の判定負けながら「ここで終わるんだなって、本当にすがすがしかった」(米川)と悔いはない。6分間休むことなく、動き続けることが求められるレスリング。競技の特性通り、10年間最後まで戦い抜いたからこそ出る言葉だった。

(よねかわ・ゆうと 農4 八千代松陰 167cm・106kg)
文・写真/谷山 美海(文3)