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告辞 —希望へのさよなら 学長 土屋 恵一郎

卒業生のみなさん。そして、卒業生のご家族、友人のみなさん。本日は誠におめでとうございます。今日からみなさんは、明治大学卒業生として、社会の中で活躍していくことになる。そこには希望があるが、きっと不安もあることだろう。だが、心配することはない。社会は大きく手を広げて明治大学卒業生であるみなさんを歓迎してくれる。そして、ひとつだけ間違いないことは、世界のどこに行っても、そこには明治大学卒業生の先輩たちがいるということだ。私の経験がそれを保証している。

たとえば、北京にあるJALの支店長は、明治大学OBだ。北京空港のJALの整備士長も明治大学理工学部OBだった。世界にあるJAL支店の中で北京はニューヨークに次いで大きな支店であり、そこで多くのOBが活躍しているのだ。こうしたOB・OGとの出会いは、世界中でよくある。まして日本の中では、どんな会社組織に入っても、明治大学の卒業生がいる。きっと、みなさんの力になってくれる。誇りをもって、明治大学ブランドを掲げてほしい。

そして、卒業するみなさんに贈りたい言葉は、「艱難辛苦は汝を玉とす」という言葉だ。「艱難辛苦」は、さまざまな苦労や逆境であり、それが人を磨いてくれる。そういった意味だ。みなさんが、どんな状況であれ、まっとうに生きていこうと思えば、必ず壁があり艱難辛苦があるだろう。そこを生き抜くことが大事だと言いたいのだ。私はこの「艱難辛苦は汝を玉とす(艱難汝を玉にす)」を漢語かと思っていたが、実は、西洋のことわざを日本語に訳したものだった。「艱難辛苦」は英語でいえば、adversityだ。まさしくこれは逆境という意味である。英語の辞書には、例文としてシェイクスピアの作品『お気に召すまま』の文章が載っている。

“Sweet are the uses of adversity”「逆境がもたらす利益は素晴らしい」

逆境に立っても、後ろに引くことなく、そこに立ち続けることが大事である。たとえ、膝を屈してしまうことがあっても、けっして後ろを振り返ることなく前を見ていろ。そうすれば、必ず、誰かが君の背中を支えてくれる。もしくは、一緒にそこに立っていてくれる。それが人生というものだ。私のような72歳の老人が言うのだから、間違いはない。

また、これからの人生には、良い時もあれば、悪い時もある。誰もが同じである。室町時代14世紀に活躍した能楽の大成者世阿弥は、時の間には勢いの波があると言っている。自分に勢いがある時もあれば、勢いがなくなっている時もあるということだ。なぜそんなことを言ったかといえば、日本の芸術は常に勝負事であったからだ。芸術が個人のものになったのは、明治時代になってからかもしれない。それまでは、勝負事であり、勝負の相手がいて、相手との関係こそ、芸術の中心であった。和歌でも、生け花でも、勝負があった。だから、世阿弥は、能も勝負であり、競争者との関係が大事だと言った。そこでは、相手に勢いがきている時もあり、自分の調子が良くない時もある。そんな時は、むやみに勝負をせず、勢いが戻るのを待てと言っている。そして、必ず、勢いが戻るとも言っている。それを信じて、待て。ただ、勢いが戻った時のために、準備が必要なのだ。稽古をしていなければならないし、相手にはないものを磨いておかなければならない。つまり、膝を屈している時も、前を向いて次を待つのだ。絶望は必要ない。必ず、君の時が来る。

今日は桜が咲いている。満開の桜は、君たちを祝福している。しかし、この桜も風が吹けば散っていく。井伏鱒二という作家は、ある漢詩を日本語にしてこう書いた。

「花に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ。」

きれいな花には嵐がふく。人生のあらゆるところにさよならがある。辛いさよならもあり、悲しいさよならもある。今日も、君たちは、友とさよならをし、大学とさよならをし、そして、これまでの小さなさよならとは違う青春にさよならを告げて、社会に出て行く。だから、私は、君たちにさよならを言う。そのさよならは、別れではなく、良い人生を祈るさよならだ。君たちを育ててくれた人々すべてが、君たちにさよならを言っている。きっと良い人生が待っている。Good journey。明治大学のスピリッツは「前へ」という言葉にある。その「前へ」を忘れないでほしい。きっとその言葉が君たちを支えてくれる時がくる。卒業おめでとう。
(卒業式次第より転載)