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本棚 ウィーン包囲—オスマン・トルコと神聖ローマ帝国の激闘 菊池 良生 著(河出書房新社、2,300円+税)



イスラム教世界とキリスト教世界の衝突は、今日もメディアを賑わしている。だが、いずれの報道も歯切れが悪いのは、なにより各国のリーダーの思惑が不鮮明だからだ。その点、およそ350年前のウィーンで起こった「文明の衝突」を遠近自在に活写する本書の視界はクリアである。17世紀ヨーロッパの複雑怪奇な外交戦略を、さながら戦国絵巻のように実況する語りは、時代の覇者たちが目の当たりにした「トルコの恐怖」の正体を白日の下にさらす。そればかりか、司令官や市長、救援隊や密使など、当事者たちの心的葛藤を描き切ろうとする著者は、「黄金の林檎」とうたわれたウィーンに響く、人々の叫び(「皇帝レオポルドはウィーンから逃げた!」「聖職者たちが何ゆえに我々を見捨ててウィーンから逃げ出すのか!」「糞坊主どもが!」)にも耳を傾けるのだった。

貴賤貧富、老若男女、いかなる立場に共感しようと、歴史のプレイヤーとしてふるまうことの興奮と悲哀が必ず胸に押し寄せてくる、教養人必読の一冊である。

波戸岡景太・理工学部教授 (著者は名誉教授)