ちょっと大袈裟かもしれないが、これまでジャーナリストとして何度か死と隣り合わせになったことがある。最初は90年代初め、カンボジアでデング熱に感染し重症患者になった時。治療法がないと聞かされ暗澹となった。93年のモスクワ政変では何発もの銃弾が頭上をかすめ肝を冷やした。その時のリポートはスクープ映像となったが、後にロシア共産党筋から死者は2,000人以上と知らされ震え上がった。
だが、いちばんショックだったのは60歳手前での「胃がん」宣告。初代国際日本学部長の頃である。幸い手術は成功裏に終わり再発はないが、麻酔で意識が薄れていく中、自分の人生が古びた映画のように浮かんでは消えた。明治大学で出会えた若者たちや学部立ち上げの際に苦楽を共にした先生や事務の方々の顔も。学生時代は救いようのない劣等生だった僕に教壇に立つ機会を与えていただいたことに感謝した。
教育とは何か。復帰後、そんなことをぼんやりと考えていたら思わぬ所でその答えを発見した。それはイスラエル取材中に出会ったある起業家の次のひと言だった。
「ミスターカニセ、教育とは訓練ではなく、未来を創造することですよ」
なんと明快な答えだろう。僕なりの未来創造をこれからも続けようと心に決めた。