Go Forward

あたらしい価値観を持つ新世界に備える

副学長(総合政策担当) 渡邉 友亮

4月より新しい執行部による大学運営がスタートしたが、程なくして緊急事態宣言が発令された。現在は4月中旬であるが、第二次世界大戦以来最悪の事態だという声が世界中から聞こえてくる。人類にとっての危機というものは必ずある頻度で訪れる(危機の大きさとその頻度は「1/fゆらぎ」と関係があるかもしれない)。今回の危機は100年に一度の危機といえる。人類の歴史をみれば、大きな危機の後には必ず社会の価値観が大きく変わっている。極端にいえば、昨日まで正しいと考えられてきたことが、今日からは正しいことではなくなったりする。

今ある大学の価値は大きく二つに分けられるのではないか。一つは大学がこの世界に誕生してから全く不変である「独立した真理探求の場所」であり、もう一つは、最近になって社会からの要請で大きくなってきた「人材育成を通じた社会貢献の場所」であろうか。今後も、大学によってはそれぞれの割合が変化することはあっても、これらの価値は変わらない。なにが変化するだろうか。すぐに思いつくのは「手段」である。研究、教育、運営それぞれの「手段」が大きく変革するときであり、努めて変えなければならない。

自然科学系は従来の研究手段である「紙」から一番早く離れている分野かもしれない。私だけかもしれないが、図書館に足を踏み入れることはまずない。必要な研究資料はほぼオンラインで入手でき、成果発表もオンラインでできる。つまり、実験以外はほとんどオンラインで済む。教育についてはどうか。もちろんすべてをオンライン化することは不可能である。しかし、オンラインの方がより教育効果が期待できる部分もあるのは事実であり、今後はこれを中心にオンライン化を全力で推進する必要があるだろう。最も手段の変革が遅れているのは、大学運営かもしれない。例えば、いまだに「押印」文化が深く根を張っている。大学は他の社会組織よりも長い歴史を持つことが多く、古くからの慣習を自ら変えていこうという雰囲気は醸成しにくい。運営において変革が進まない原因の一つは、大学の組織がアクセルを踏む(大学のあるべき姿を追求する)部署とブレーキを踏む(組織を守る)部署に完全に分かれているからではないか。どちらも自分の職務を全うしようと一所懸命にペダルを踏む。これは自動車に例えれば、アクセルとブレーキを同時にいっぱいに踏み込むような状況である。それぞれの部署に、アクセルとブレーキそれぞれの業務を効率的に振り分ければ、お互いに首を絞め合うような、このような非効率さも減るのではないかと期待する。

このような大きな変革は平時には絶対に認められない。今こそ、それを進めるときである。
(理工学部教授)