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「大学教育における学生支援の位置づけ」 副学長(学務担当) 浜本 牧子

日本における学生支援の歴史を紐解くと、そもそも学生支援の概念や領域は、大学や学生の変化に対応して展開されてきたものであり、学生支援という用語は歴史的に使われてきたものではないらしい。本学において、学生支援という用語が多用されるようになったのは、おそらく2007年度の事務機構改革に伴い事務組織名称が、学生事務部から学生支援部へ変更されたことがきっかけではないかと推測される。

本学における学生支援の歴史は古く、明治大学史資料センターの資料によると、1887(明治20)年には、地方から上京してきた学生を、郷里の父母を心配させないよう大学の責任者のもとに置き、親しく監督するために「特別生規則」が定められている。1910(明治43)年には、明治大学商科大学(現商学部)において、「商科大学特別奨学規定(ママ)」が定められ、優秀な志願者に対して授業料を免除する措置が行われている。関東大震災後の1931(昭和6)年には、学生の食生活改善のため学生食堂が設置され、昭和30年代には学内診療所、昭和50年代には旧山中寮が学生支援の一環として設置されている。さらに、1959(昭和34)年には、学生が抱えるさまざまな問題に対応するための機関として、和泉キャンパス時習寮に学生相談室が置かれている。このように、本学では、学生が学業に専念し、安定した学生生活を送ることができるようにとの理念の下、明治法律学校設立当初から学生への支援が行われ、その精神は現在に受け継がれている。

さて、戦後、日本の新制大学発足にあたり当初学生支援が目指していたものは、教育学、哲学、心理学等の理論と方法に基づいたアメリカのStudent Personnel Services(SPS)の理念を導入した、すべての学生に対する全人格的な広義の教育であったが、学生運動の解決に有効でなかったとして過小評価され、停滞を余儀なくされたと分析されている。その後、時代の変遷を経て、学生相談が、学生支援の中心的な役割のひとつとして位置づけられるようになったことに伴い、支援を必要とするのは特別な学生だけであるという認識が一般に定着するようになった。

18歳人口減少の一方で、大学進学率増加による学生の多様化に伴い、学生支援の在り方も多様化が求められている。学生支援を、大学の教育・研究力向上に資する補助的な位置づけとしてだけでなく、戦略的な大学教育の一環として明確に位置づけていくことが必要であり、また、教育の質保証の観点からも重要な役割を果たしていることを再認識するべきであろう。すべての学生に対する包括的支援について、学生の視点を取り入れた教育的・成長促進的視点に立って、組織横断的に連携・推進することが大切と考える。
(農学部教授)