Go Forward

寄付者からのメッセージ

「地域支部間の繋がりと母校支援の小さな誇り」

校友会神奈川県西部支部ラグビー応援同好会GM 谷澤 裕人 様 1966年(昭和41年)工学部卒

私達ラグビー応援同好会は、校友会神奈川県西部支部と下部組織である9ヶ所の地域支部を密に繋げる目的で母校明治大学ラグビー部を応援する団体として2016年に当支部内に設立しました。発足当初、ラグビー場での応援は、顔見知りも、人数も少なく盛り上がりませんでした。ラグビー部をサポートする募金も極少額でした。しかし、この活動を続けたことと大学によるラグビー部の強化策のお陰で会員数、募金額、共に年々増加してきました。実際にラグビー場で明治大学が勝利して顔の知った同志、老若男女の校友である会員が校歌を高らかに歌う、あの時の感動は、明治大学に学んで本当に良かったと思う瞬間です。明治大学ありがとう。明治ラグビー更に強くなってほしい。全員の思いがひとつになります。一方、明治大学へのサポートは、12月に纏まって募金しています。今日この頃では皆で行うサポーター募金を楽しみにしている会員も少なくありません。本当にありがたいことです。各自、思い思いの金額の募金を毎年、行うことが私達会員の小さな誇りです。私達のサポーター募金は、名称のとおり校友会活動の一環としての位置づけです。設立当初に掲げたラグビー応援同好会の4項目の目的、「地域支部会員のフォローアップ」、「新入会者のアシスト」、「県単位支部と地域支部の密なるコネクション」加えて「母校明治大学への募金によるサポート」のために今後も組織的な活動を継続したいと思っています。

「明治プライドを胸に前へ進め」

青木 栄史 様 1983年(昭和58年)法学部卒

私は1979年に明治大学法学部に入学しましたが、入りたい大学ではありませんでした。また、入学直後は法曹を目指そうと思いましたが、当時流行っていた遊びのサークルに入って挫折してしまいました。結局、大学時代は取得単位が少なく、卒業するのもやっとでした。

明大卒の真価を改めて感じたのは社会に出てからでした。それまで順風満帆だった私の会社員生活が50歳頃から公私共に苦しい毎日が続きました。そんな時に精神的に私を救ってくれたのが、卒業後もずっと付き合っていた大学の親友たちでした。そして、彼らと明治大学体育会の野球、ラグビー、サッカー、駅伝のスポーツ観戦に大学卒業以来、28年ぶりに行き、大声を張り上げて母校を応援する内に次第に元気を取り戻して行きました。私にとって明治大学は自分を救ってくれた、かけがえのない存在です。

そんな母校への感謝の気持ちを込めて60歳の定年退職後に未来サポーター募金にささやかな寄付をさせて頂きました。また、募金寄付者銘板へ名前を掲載頂けるとのことで微力ながら、母校に協力できた事をこの上ない喜びに感じております。

明治大学は躍進を続けて今や、高校生の志望したい大学の1位になったりしています。今後は名実ともに日本の私学のトップになる様、後輩諸氏の頑張りを期待すると共に私も終生、我が母校、明治を支援し続けたいと思っております。

「『校友』として感謝を込めて」

校友(2021年3月退職) 久能木 久子 様

昨年3月に定年退職(事務職)をさせていただきました。コロナ感染の脅威が増し、不安と緊張の毎日でした。その後も変異するコロナに悩まされ、異常気象による災害が頻発し、暴力による侵略も起こってしまいました。社会情勢が刻々と変化するとき、学内でもより一層大変な状況下において、全教職員の懸命な努力が続けられていることを「広報」や「明治」から知るたび、胸が熱くなります。

退職後しばらく、「後悔」「心残り」といった感情に心が揺さぶられる日々が続きました。昼間は「老母との二人暮らし」の修行中、またコロナ禍にあって、一度も大学を訪ねられないせいか、何かにつけて「大学はどうしているだろうか」と思い浮びます。このようななか、誠に遅ればせながら募金をさせていただきました。お正月の「広報増刊号」に、和泉の第二校舎3番教室最上段での学生さんのエピソードがあり、私も同場所での苦い体験(入学試験の出席確認時、段差の違いに対応できず踏み外した)を思い出して、募金先は「キャンパス整備サポート資金」を希望しました。どこにいても学べる環境が整いつつあるなかで模索される「新しい時代のキャンパス」に、やはり学生さんにはできる限り集ってほしいと思います。

退職する際、所属していた課の課長から「明日から校友ですよ」とのうれしい言葉を頂きました。高卒の私にとって、「明治大学の校友」という心の拠り所を頂いたような気がしています。今後も、感謝の気持ちを募金に代えて、学生さんの成長と明治大学の発展を心から祈っております。