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「真夏の蜜柑」

農学部長 竹本 田持

人間国宝の落語家、柳家小三治師匠が亡くなって1年。40年ほど前の夏、ある落語をラジオで聴いたときから師匠のファンになった。その落語とは、大店の若旦那が土用の暑い盛りに蜜柑が食べたくてふさぎ込み、番頭が駆けずり回って見つけた1個の蜜柑が千両もしたという「千両蜜柑」である。サゲは、その蜜柑1個に10袋あった実のうち7袋を食べた若旦那から、「両親と番頭さんに」と残り3袋預かった番頭が「300両だ!」と勘違いして、3袋の実を手にいなくなってしまうことだ。

この話に登場するのは、師走の頃から年明けにかけて、こたつに入って食べた普通温州という蜜柑だろう。それを真夏に食べることは夢のまた夢、という時代のことである。私自身は子供の頃、夏休みにホーム売店で“冷凍蜜柑”を買って列車の中で食べた世代であり、凍った皮をうまくむくのは一苦労だったけれど、真夏でも甘い蜜柑を食べることができた。あれも普通温州だったと思う。

一般に蜜柑といえば温州蜜柑を意味するが、極早生は9月頃、早生は10月頃、中生は11月頃、晩生は年末からが収穫期で、中生〜晩生が普通温州とされる。そして極早生より早い盛夏には、加温したハウス栽培もの、また最近はペルーやオーストラリアなど南半球からの輸入ものもある。農家の皆さんの努力、品種や栽培技術などの研究成果、そして海外との貿易のおかげで、いまは真夏でも新鮮な蜜柑を手にできる。晩柑類、輸入オレンジやグレープフルーツなどを含む柑橘全体でみれば、一年中店頭に並ぶ果物ではあるが、冬のイメージだった温州蜜柑の季節感は少し薄れてきたように思う。そして、蜜柑だった果実消費量1位は、いまや季節感がなくほとんどが輸入もののバナナである。

さて、ハウス栽培も、輸入も、そして冷凍するにもエネルギーが必要であり、わが国はエネルギー源の多くを輸入に頼らざるを得ない。ビニールハウスの被覆材や袋詰めの包装材なども多くは石油由来である。ところが、ロシアによるウクライナ侵攻や円高により、石油や天然ガスといったエネルギー源の価格が高騰し、化学肥料などの価格も上がっている。地球温暖化とも関わり、太陽光や風力、地熱など自然エネルギー源の重視、下水汚泥肥料の評価、農産物の生産・流通・消費や地域社会の在り方の見直しなどは今後も進むであろう。そのため、私たちの生命を支える食や農業、環境などについて教育・研究する農学部への期待は大きく、加えて明治大学の総合性を発揮することが求められていくと思う。

ある暑い一日、ウクライナで起きている悲惨な映像とその影響、異常気象や急激な円安といったニュースを見ながら、小三治師匠の名演を思い出した。
(農学部教授)