明治大学平和教育登戸研究所資料館 動画集
登戸研究所とは
登戸研究所は、戦前に旧日本陸軍によって開設された研究所です。秘密戦兵器・資材を研究・開発していました(詳しい研究・開発内容は各展示室のご案内をご覧ください)。正式名称は第九陸軍技術研究所ですが、研究・開発内容を決して他に知られてはいけなかったために、「登戸研究所」と秘匿名でよばれていました。
登戸研究所は、アジア太平洋戦争において秘密戦の中核を担っており、軍から重要視された研究所でありましたが、終戦とともに閉鎖されました。その後、1950年代に登戸研究所跡地の一部を明治大学が購入し、現在の明治大学生田キャンパスが開設されました。
登戸研究所は、アジア太平洋戦争において秘密戦の中核を担っており、軍から重要視された研究所でありましたが、終戦とともに閉鎖されました。その後、1950年代に登戸研究所跡地の一部を明治大学が購入し、現在の明治大学生田キャンパスが開設されました。
陸軍登戸研究所関係年表
※登戸研究所関連のできごとは網掛けで表示しています。
年 | 月日 | 事項 |
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1919(大正8)年 | 4月12日 | 勅令第110号により陸軍科学研究所が発足 |
1922(大正11)年 | 11月 | 陸軍科学研究所が現在の新宿区戸山ヶ原に移転 |
1931(昭和6)年 | 9月18日 | 満州事変勃発 |
1935(昭和10)年 | 10月 | 昭和天皇が新宿区戸山ヶ原の陸軍科学研究所に行幸 |
1936(昭和11)年 | 1936年に入り、陸軍科学研究所が憲兵資材の提供を始める | |
11月 | 日独防共協定が成立 | |
12月 | 陸軍科学研究所、電波兵器研究を開始(く号兵器) | |
1937(昭和12)年 | 6~12月 | 1937(昭和12)年6月~12月に登戸実験場への移転作業開始 |
7月 | 日中戦争始まる | |
11月 | 参謀本部第八課(謀略課)設置 | |
12月 | 南京を占領 | |
1938(昭和13)年 | 4月 | 雷雲を利用した兵器の開発開始 |
10月 | 日本軍、武漢を占領したが、戦争遂行の見通しを失い、長期持久戦へ | |
1939(昭和14)年 | 1月 | この頃、参謀本部、対支経済謀略実施計画(杉工作)を案出 |
9月 | 第二次世界大戦勃発 | |
登戸出張所と改称(通称・登戸研究所) | ||
1940(昭和15)年 | 1940年に入り、登戸研究所、ザンメル印刷機をドイツから購入 | |
3月 | 日本の支援を得て、南京に汪兆銘政権が成立 | |
8月 | スパイ養成所として陸軍中野学校設立 | |
9月 | 日本軍、北部仏印への進駐を開始 | |
日独伊三国同盟成立 | ||
1941(昭和16)年 | 1941年に入り、登戸研究所、本格的に偽札製造をおこなう | |
6月 | 「満州国」の731部隊や日本軍占領地で登戸研究所の所員が人体実験を行う | |
陸軍技術本部第九研究所と改称 | ||
6月22日 | 独ソ戦始まる | |
7月 | 日本軍、南部仏印への進駐を開始し、対英米戦の危機が高まる | |
12月8日 | アジア太平洋戦争始まる | |
1942(昭和17)年 | 2月 | 日本軍、シンガポール占領 |
4月 | 登戸研究所、命令系統が参謀本部に直結する | |
陸軍中野学校、陸軍省から参謀本部直属の組織となる | ||
6月 | 日本軍、ミッドウェー海戦で大敗 | |
10月 | 陸軍技術本部第九研究所から第九陸軍技術研究所と改称 | |
1943(昭和18)年 | 1943年に入り、東条英機首相兼陸相が登戸研究所を視察 | |
2月 | ガダルカナル島から撤退 | |
4月1日 | 登戸研究所所長・篠田鐐少将との所員・伴繁雄兵技大尉らが陸軍技術有功章を受賞、賞金で弥心神社と動物慰霊碑を建立 | |
11月 | 風船爆弾の試作品完成 | |
1944(昭和19)年 | 2月 | 登戸研究所、千葉県一宮海岸で風船爆弾の実験をおこなう |
6月 | 日本軍、マリアナ沖海戦で大敗 連合軍、欧州第二戦線の結成に成功する |
|
7月 | サイパン島が陥落し、日本本土の大半が米軍の爆撃圏内に入る | |
9月 | 登戸研究所の地方疎開が決定 | |
11月 | 米軍による日本本土爆撃が本格化 | |
千葉県一宮・茨城県大津・福島県勿来から風船爆弾による米本土攻撃が開始される | ||
1945(昭和20)年 | 1945年に入り、登戸研究所、空襲回避のため長野県などに疎開する 登戸研究所の研究費は、陸軍の全技術研究所(10ヶ所)の約18%(650万円)を占める |
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1月 | 大本営、本土決戦準備を本格化 | |
2月 | 米軍、硫黄島に上陸 | |
4月 | 米軍、沖縄本島に上陸 | |
5月 | ドイツ降伏 | |
この頃、日本の都市の多くが焼土となる | ||
8月15日 | 日本降伏 | |
登戸研究所では陸軍中央からの命令により証拠の隠滅が図られる | ||
8月15日以降 | 登戸研究所、長野県で解散式をおこなう | |
10月 | 米軍、登戸研究所施設の接収をおこなう | |
1946(昭和21)年 | 5月 | 極東国際軍事裁判(東京裁判)開廷、登戸研究所関係者は訴追されず |
1950(昭和25)年 | 明治大学が登戸研究所の跡地を購入 |