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栗島 義明 KURISHIMA Yoshiaki

栗島

研究知財戦略機構 
黒耀石研究センター員
博士(史学)

経歴ほか

1958年 埼玉県生まれ
1977年4月 明治大学文学部史学地理学科入学
1981年3月 明治大学文学部史学地理学科卒業
1981年4月 明治大学大学院博士前期課程入学
1984年3月 明治大学大学院博士前期課程修了
1984年4月 明治大学考古学博物館嘱託
1985年4月 埼玉県教育委員会(~2018年3月まで) 
この間に(財)埼玉県埋蔵文化財調査事業団、埼玉県庁文化財保護課、県立歴史と民俗の博物館、県立川の博物館、県立自然の博物館、県立さきたま史跡の博物館などの博物館施設に勤務。
1998年12月 明治大学 博士(史学)
1999~2018年 明治大学日本先史文化研究所研究員
2018年~ 明治大学黒耀石研究センター

専門領域キーワード

遺跡構造 神子柴文化 石器石材 ヒスイ・コハク 貝輪 堅果類 洞穴遺跡 草創期 最古の縄文土器 木製容器 水場遺構

競争基金による研究

基盤研究A「洞穴遺跡の構造研究」(千葉大学)共同研究員(1996~1999)
学術フロンテイア「環境変遷史と人類遺跡に関する学祭的研究」(明治大学)共同研究者(2006~2009)
明治大学大久保忠和考古学振興基金「縄文時代の資源利用」(2012)共同代表者 
科学研究費 基盤研究C 「威信財から見た縄文社会の構成と交易」(2011~2013)研究代表者 
大阪歴史博物館共同研究「高島多米治と下郷コレクション」(2011~2013)共同研究者
明治大学新領域創成型研究(2018)研究代表者
科学研究費 基盤研究A「初期の縄文土器の機能に関する総合的研究」(20192022)(代表:米田穣)分担者
科学研究費 基盤研究B「ヒスイとコハクを用いた装身具の総合的研究」(20222025)研究代表者
福島県只見町 「自然都市・只見」学術調査研究助成金事業 (2022)研究代表

業績(著書)

<編著>
2022年5月 『縄文時代の環境への適応と資源利用』黒耀石研究センター叢書シリーズⅡ 雄山閣
2019年10月 『身を飾る縄文人』雄山閣


<共著>
2023年4月 「木胎製作と磨製石斧」『縄文の漆と社会』p117-127 雄山閣
2022年5月 「資源環境への適応」『縄文時代の環境への適応と資源利用』黒耀石研究センター叢書シリーズⅡ p10-19 雄山閣
2022年5月  「低地の遺跡ー低地に残された木組み遺構とは?ー」『縄文時代の環境への適応と資源利用』黒耀石研究センター叢書シリーズⅡ p51-58 雄山閣
2022年5月 「縄文時代の木製品」『縄文時代の環境への適応と資源利用』黒耀石研究センター叢書シリーズⅡ p90-97 雄山閣
2022年5月 「ヒスイ・コハク・貝ー装身具の製作とその広域分布ー」『縄文時代の環境への適応と資源利用』黒耀石研究センター叢書シリーズⅡ p79-85 雄山閣
2019年10月 「余山貝塚と貝輪の製作・流通」『身を飾る縄文人』P135-164 雄山閣
2019年10月 「大珠の佩用とその社会的意味を探る」『身を飾る縄文人』P253-266 雄山閣
2016年3月 「旧石器研究の新たな出発」「狩猟具の革命」「究極の石器」『埼玉の考古学入門』P28-39 さきたま出版 
2012年4月 「移動生活に組み込まれた石材交換 ─「砂川類型」に見る旧石器時代の移動システム─」『人類史と時間情報』雄山閣 P141-161 
2010年9月 「ヒスイとコハク ─翠と紅が織りなす社会関係─」「縄文草創期の石材利用と石器組成」『移動と流通の縄文社会史』P91ー106、179ー206 雄山閣
2010年6月  「森の資源とその利用」『考古学の挑戦』P49ー89 岩波書店 
2010年6月  「神子柴文化 ─移行期としての分化─」『講座日本の考古学2 旧石器時代(下)』P331ー354 青木書店
2007年12月 「硬玉製大珠の社会的意義」『縄紋時代の社会考古学』P83-106 同成社
2007年6月 「神子柴文化」『東アジア考古学辞典』(西谷 正編)東京堂
2006年6月 「木製浅鉢の製作に関する覚書」『埼玉の考古学Ⅱ』P209ー230 六一書房
2005年6月  「列島最古の土器群」『地域と文化の考古学』ⅠP155-178 六一書房
2002年2月 「縄文文化の成立と技術革新」『縄文人の時代』P72-101 新泉社
2000年3月  「いわゆるグオム技法について─ベトナム北部旧石器時代の剥片石器群」『大塚初重先生頌寿記念考古学論集』東京堂出版 P1009-1034
1994年10月 「貝輪・玉斧・硬玉製大珠」『縄文時代研究辞典』(戸沢充則編)東京堂出版
1993年11月 「考古」『日本歴史地体系11 埼玉県』 平凡社
1993年3月 「石器・剥片の接合関係から何がわかるか」「旧石器から縄文」『新視点 日本の歴史』P48-69
1992年9月 「交換と分配 ─個体別資料分析からみた互酬的関係─」『東北文化論のための先史学歴史学論集』今野印刷 P55-68 
1991年7月 「「本ノ木論争」から学ぶもの(一)」『埼玉考古学論集』アサヒ印刷 P127-154
1985年8月 「石器の実測」『考古実測の技法』(江坂輝弥監修)ニューサイエンス社 P62-77
1983年7月 「ナイフ形石器の形態組成の変遷とその意義」『人間・遺跡・遺物』文献出版 P25-40
1983年1月 「東京都 茂呂遺跡」『探訪 先土器の遺跡』(戸沢充則・安蒜正雄編)有斐閣 P196-201


書評

2015年2月 上屋眞一・木村英明著「カリンバ遺跡と柏木B遺跡」『季刊考古学』138号 P88
2013年10月 G.フロバーチェフ(木村英明訳)「氷河期の極北に挑むホム・サピエンス」『季刊考古学』125号 P110
2010年6月 春成秀爾・小林謙一著「愛媛県上黒岩遺跡の研究」『考古学研究』57-1 P79-81
2001年9月  小野 昭著「打製骨角器論」『考古学研究』48-2 P105-108
1998年12月 井尻正二ほか著「新文明のなかの未開」『考古学研究』45-3 P118-120
1998年3月 木村英明著「シベリアの旧石器」『駿台史学』102号 P131-133
1994年3月 G.ボジンスキー著(小野 昭訳)「ゲナスドルフ」『考古学研究』第38巻第4号 P125-126 

翻訳

1999年5月 「東アジア地域に於ける更新世後期から完新世初期への石器製作技術の移行」(ニーナ・コノニェンコ)『土曜考古』第23号 P137-156 
1997年4月 「ロシア極東地域に於けるウスチノフカ石器文化」(アンドレ.V.ターバレフ)『埼玉考古』第33号 P181-200
 

展示図録

2014年9月  『甦る鉄検』埼玉県立歴史と民俗の博物館
2014年2月 『埼玉古墳群の謎』埼玉県立さきたま史跡の博物館
2011年10月 『スローフードの考古学』埼玉県さきたま史跡の博物館
2007年10月  『埼玉の名水』埼玉県立川の博物館
2005年9月 『蘇る縄文』埼玉県立川の博物館

論文(2000年以後のみ)

2023年3月 「宮ノ前遺跡出土の年代」『資源環境と人類』13 p149-163
2023年3月 「副葬された石鏃ー堂の貝塚6号人骨に伴う石鏃」『資源環境と人類』13 p123-137
2022年8月 「内陸部の塩泉利用」『季刊考古学』別冊38:日本列島の人類史と製塩 p128-133
2022年3月 「磨製石斧の土器収納」『資源環境と人類』12 p1-19
2021年10月 「土器の作り分けと使い分けー土器付着物の安定同位体分析からみた後晩期土器の器種組成の意味—」阿部芳郎・栗島義明・米田穣『日本考古学』53 p1-21
2021年5月  「大珠分割とその社会的背景」『埼玉考古』56   p1-16
2021年3月 「神子柴遺跡出土の両面加工石器~細石刃核原型としての再評価」『考古学集刊』16 p1-20
2020年5月 「冬木A貝塚出土のオオツタノハ製貝輪」『埼玉考古』55 P13-29
2020年5月 「寿能下層式土器の年代と編年的位置」栗島義明・米田 穣・阿部芳郎 『埼玉考古』55 P1-12
2020年4月 「オオツタノハ製貝輪を巡る諸問題」『考古学集刊』15 P1-20
2020年3月 「神子柴論争の行方」『資源環境と人類』10 P1-22
2019年5月 「縄文時代の木製容器とその製作技術」『埼玉考古』54 P31-53
2018年4月 「行司免遺跡出土の小型磨製石斧」『埼玉考古』第53号 P1-6
2016年5月 「古墳時代前期の管玉製作」『玉文化研究』2号 P273-294
2015年6月 「木組遺構再考」『考古学研究』62-1 P26-43
2014年3月 「緑泥片岩製石棒の生産・流通」『駿台史学』第150号 P29-53
2012年4月 「橋立岩陰遺跡出土の隆起線文土器の検討」『埼玉考古』47号 P1-7
2011年4月 「山から海へ/海から山へ」『スローフードの考古学』
2011年4月 「縄文時代の湧水利用」『埼玉考古』第46号 P37-52
2011年3月  「緑泥片岩を用いた横穴式石室の構築」『埼玉県立史跡の博物館紀要』5号 P93-114 
2010年3月 「財貨としての儀礼的交換用石 ─ニューギニア島ダニ族のJe Stonesについて─」『埼玉県立史跡の博物館紀要』4号 P61-84 
 

MISC

2023年3月 『東日本地域におけるトチの実食』資料集
2022年6月 「砂川遺跡—2万5000年前の家族団らんの跡ー」『所沢の歴史と民俗』p190-195 さいたま民俗文化研究所
2021年5月 「移動生活と塩分補給~広域移動を支えた塩化物泉の存在~」『利根川』43 p59-73
2020年5月 「Ⅹb層の世界 ─鹿野場遺跡の石英製石器群の検討から─」『利根川』42 P89-107
2019年10月 「移動生活と石材確保」『砂川遺跡 ─旧石器時代研究の過去・現在・未来─』P38-44 明治大学黒耀石研究センター
2019年10月 「ヒスイから見た縄文時代」『海をわたったヒスイ』展示図録 P22-23 新潟県埋蔵文化財センター
2019年10月 「余山貝塚と貝輪の製作・流通」『身を飾る縄文人』雄山閣 P135-148 
2019年10月 「大珠の佩用とその社会的意味を探る」『身を飾る縄文人』雄山閣 P253-266
2019年8月 「島嶼部へと渡った縄文人」『海峡をつなぐ資源と道具』P13-20 明治大学黒耀石研究センター
2019年4月 「神子柴遺跡出土の黒曜石原石」『利根川』41 P38-46
2019年2月 「赤山陣屋跡遺跡の木組遺構を考える」『「トチの実加工場」は存在したのか?』P51-63 明治大学黒耀石研究センター
2018年12月 「緑色岩を用いた磨製石斧製作」『ナイフ・石鏃・磨製石斧 ─石材資源とその流通 ─』P41-47 明治大学黒耀石研究センター
2018年9月 「神子柴遺跡再考─その性格と機能を考える─」『神子柴系石器群 その存在と影響』P18-28
2018年5月 「清野コレクション中の石英製石器」『利根川』40 P19-33
2017年5月 「台湾南部の攻玉遺跡」『利根川』39 P24-36
2017年5月 「キプロス共和国ヒロキテイア遺跡」『利根川』39 P37-48 
2016年7月 「木製容器製作技術の展開と後晩期社会」『縄文文化の繁栄と衰退』Ⅲ P9-30
2016年 4月 「古墳時代前期の管玉製作」『玉文化研究』2号 P273-294
2015年10月 「大珠を佩用する人物」『季刊考古学』130号 P85-88
2015年 5月 「ニューギニア高地の石斧製作(Ⅰ)」『利根川』38号 P12-25
2014年11月  「玉文化研究の歩みと今後の課題」『日本玉文化研究会資料集』P61-71
2014年11月 「貴石利用からみた縄文社会」『縄文の資源利用と社会』季刊考古学・別冊 P82-90
2014年5月 「もう一つの技術 —縄文時代の「糸切り技法」—」『利根川』36号 P12-21
2014年2月 「ヒスイ製大珠の分配」『副葬品から見た縄文社会』P28-38
2013年11月 「大珠研究の意義」『縄文時代装身具の考古学』(早稲田大学)P23-34
2013年5月 「大珠装着に関する一考察」『利根川』第35 P1-14
2012年12月 「コハク製大珠の広域分布」『縄文時代のヒスイ大珠を巡る研究』P75-84
2012年11月 「木組遺構とは何か」『縄文時代の資源利用』P27-37
2012年5月 「集落下の水場」『利根川』34 P4-18
2012年4月 「コハクの利用と縄文社会」『考古学ジャーナル』第627号 P8-12
2012年4月 「コハクが巡る縄文社会」『銚子・今昔物語り』P46-60
2011年10月 「山から海へ/海から山へ」『スローフードの考古学』
2011年5月 「アク抜き施設再考」『利根川』33 P1-15
2010年5月 「ピレタ洞穴の発見とその後」『利根川』32 P73-80
2010年5月 「擦痕を持つ細石核」『利根川』32 P15-26
2010年3月 「展示批評」『歴博』159号
2010年3月 「財貨としての儀礼的交換用石 ─ニューギニア島ダニ族のJe Stonesについて─」『埼玉県立史跡の博物館紀要』4号 P61-84 
2009年5月 「威信財から見た縄文集落の構成」『長野県考古学会誌』第132号 P23-33
2008年8月 「縄文時代のトチの実利用とその加工(Ⅰ)」『環境と人類』2 P75-100
2008年7月 「低地遺跡における資源利用と生業」『シンポジウム 縄文後・晩期社会』P23-34
2008年4月 「縄文前期の磨製石斧製作とその流通」『利根川』30 P41-52
2008年3月 「秩父のトチ餅作り(Ⅱ」『埼玉県立川の博物館紀要』8 P1-28
2007年11月 「石材獲得と石器組成に見る縄文化への傾斜」『黒耀石と人類Ⅰ』P16-35
2007年11月  「威信財流通の社会的形態」『縄文時代の社会と珠』(栃木大会要旨)P38-46
2007年8月 「浅鉢製作と木製品の管理貯蔵」『環境史と人類』1 P39-62
2007年5月  「トチの皮むき石」『利根川』29 P1-17 
2007年3月 「秩父のトチ餅作り(Ⅰ)」『埼玉県立川の博物館紀要』7 P1-36
2006年5月 「木製品貯蔵に見る技術知」『利根川』28 P12-19
2006年4月 「高原のピラミッド 密林のピラミッド」『利根川』28 P63-73
2005年10月 「硬玉製大珠 —その社会的意義—」『縄文社会を巡るシンポジウム』Ⅲ P5-16
2005年5月 「中国華南地方最古の土器群」『利根川』27 P7-15
2005年4月 「ナイフ形石器砂川類型の研究」『埼玉県立川の博物館紀要』5 P27-38
2005年 4月  「国府系石器群の波及」『埼玉考古 別冊』8 P37-43
2004年12月 「神子柴文化 —その実像と虚像—」『長野県考古学会誌』107 P44-50
2004年10月 「硬玉製大珠の交易・流通」『季刊考古学』89 P83-87
2004年4月 「寿能下層式の再検討」『埼玉県立博物館紀要』29 P1-14
2004年5月 「岩陰・洞穴を巡るパラドックス」『利根川』26 P1-15
2003年10月 「石材環境と技術適応」『シンポジウム 日本の細石刃文化』Ⅱ P69-82
2003年5月  「東南アジアの穂摘具二例」『利根川』24・25 P372-383
2003年3月  「石材環境から見た移動と領域」『国際シンポ 旧石器人の活動を探る』P122-136
2002年5月 「埼玉県内出土の大珠について」『埼玉考古』37 P23-46
2002年3月 「ベトナム北部タイー族の穂摘具」『埼玉県立博物館紀要』27 P73-78
2002年3月 「市場坂遺跡のナイフ形石器」『埼玉県立博物館紀要』27 P37-52
2000年11月 「神子柴文化の拡散と展開」『シンポジウム 九州の細石器文化』P33-42
2000年5月 「済州島高山里遺跡について」『利根川』21 P18-27
2000年3月 「遺跡構造研究が明らかにしたもの」『旧石器考古学』58 P99-110
1999年5月  「ベトナム・クウィンバン貝塚」『利根川』20 P70-80 
1999年4月  「神子柴文化の系統問題 ─ニーナ論文に寄せて─」『土曜考古』第23号 P157-170
1997年5月  「スヤンゲ遺跡の草創期遺物について」『利根川』18 P1-6
1997年3月  「洞窟遺跡と開地遺跡の関係」『第2回 洞穴遺跡の諸問題発表要旨』千葉大学 P24-32 
1995年9月 「日本列島に於ける移行期の文化」『国際シンポジウム「東アジア・極東の土器の起源」』P117-128 
1995年6月  「縄文草創期研究<二つの学史>」『展望考古学』P49-46
1994年11月 「環状ブロックの構成」『環状ブロック群』岩宿文化資料館 P40-43
1993年12月 「稲田報告に対するコメント」『考古学研究』第40巻第3号 P30
1993年10月 「細石器文化の終焉」『細石刃文化研究の新たなる展開Ⅱ』佐久考古学会 P88-102
1993年10月 「細石刃文化と石材環境」『細石刃文化研究の新たなる展開Ⅱ』佐久考古学会 P185-192
1993年10月 「移行期の諸問題」『環日本海における土器出現期の様相』P175-178
1993年8月 『縄文イヤリング』埼玉県立博物館展示ブックレット
1993年5月 「福井4層 ─その草創期研究に与えた影響について─」『利根川』14 P3-12
1993年4月 「湧別技法の波及」『土曜考古』第17号
1992年10月 「イヌと縄文人」『博物館だより』埼玉県立博物館
1992年9月  『石器時代の宝石』埼玉県立博物館展示ブックレット 
1992年7月  「大型石斧のルーツ」『博物館だより』埼玉県立博物館
1992年5月  「人と社会」「橋本氏見解に触れて」『石器文化研究4』P81-83、105-106 
1992年5月  「刺突文土器逆転編年案批判」『利根川』13 P13-21
1991年12月  「北からの新石器革命」『考古学ジャーナル』No.341  P8-13
1991年10月 「極東地域の考古調査に参加して」『ユーラシア文化センター』4 P2-8
1991年10月  「人と社会」『石器文化研究3』P231-241
1991年11月 「旧石器時代遺跡の構成」『北からの視点』日本考古学協会宮城・仙台大会 P39-50
1991年5月 「本ノ木論争 ─その学史的背景と今日的意義─」『日本考古学協会第57回総会研究発表要旨』P16-20
1991年5月 「有茎尖頭器の起源」『利根川』12 P6-12
1991年3月 「上ノ平尖頭器文化再考(下)」『古代文化』Vol. 43-3 P18-24
1991年2月 「上ノ平尖頭器文化再考(上)」『古代文化』Vol. 43-2 P16-28
1990年10月 「遺物分布から見る遺跡の構成」『石器文化研究2』P62-73
1990年6月 「航海と交易」『白い国の詩 <縄文最前線>』東北電力 P25-32
1990年5月 「刺突文土器に就いて ─窩紋土器への疑問─」『利根川』11 P1-12
1990年3月  「デポの意義─縄文時代草創期の石器交換をめぐる遺跡連鎖─」『研究紀要』7 財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団 P1-44
1990年2月  「槍先形尖頭器の発生問題」『信濃考古』113号 P12-18
1989年11月 「関東地方に於ける第Ⅳ層出土の斧形石器について」『旧石器時代の石斧をめぐって』北陸旧石器文化研究 P13-22
1989年10月 「コメント 時代観の拡張」『石器文化研究1』P85-88
1989年10月 「槍先形尖頭器の地域的様相」『中部高地の尖頭器文化』P203-215
1989年10月 「槍先形尖頭器の発生と展開」『中部高地の尖頭器文化』P280-289
1989年5月 「旧石器時代住居と遺物分布に就いて(上)」『土曜考古』第14号
1989年4月 「埼玉県秩父郡東秩父村出土の神子柴型石斧に就いて」『埼玉考古』第25号 P51-62
1988年12月 「隆起線文土器以前 ─神子柴文化と隆起線文土器文化との間─」『考古学研究』第35巻3号
1988年5月 「砂川先土器時代遺跡の構造 ─先土器時代遺跡の形成と集団構成について─」『日本考古学協会第54回総会研究発表要旨』P17-21
1988年3月  「草創期的石器組成の変遷と消失」『埼玉考古』第24号 P34-45
1988年3月 「縄文土器北上説に対する覚書」『埼玉考古』第24号 P160-164
1988年3月 『姥原遺跡』財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団
1988年1月  「神子柴文化をめぐる諸問題」『研究紀要』4 財団法人埼玉県埋蔵文化財調査事業団 P1-92
1987 年12月 「砂川先土器時代遺跡の研究 ─個体の消費及び石器の交換・譲渡からみた遺跡形成の背景─」『考古学研究』第34巻第3号 P102-111
1986年6月  「シンポジウム参加記」『考古学研究』第33巻第1号 P124-125
1986年5月 「先土器時代遺跡の構造論研究序説」『土曜考古』第11号 P55-87
1986年4月 「「渡来石器」考 ─本ノ木論争をめぐる諸問題─」『旧石器考古学』32 P11-31
1986年3月 「槍先形尖頭器石器群の研究序説 ─中部日本における地域的様相の把握─」『考古学研究』第32巻第4号 P10-41
1986年3月 「茂呂遺跡をめぐる諸問題」『茂呂遺跡C地点確認調査報告書』P62-71 
1985年11月 「ジェイド・ロード ヒスイの来た道」『歴史読本』第30巻第19号 P136-143
1985年8月 「硬玉製大珠の広大な分布圏」『季刊 考古学』第12号 P39-42
1985年4月 「草創期土器型式変遷に於ける一考察」『信濃』第37巻第4号 P87-109
1984年9月 「有茎尖頭器の型式変遷とその伝播」『駿台史学』第62号 P50-82
1983年3月 「ブロックの構成と機能」『多門寺前遺跡Ⅱ』P475-514
1982年3月 「打製石斧の製作技術」『南大塚遺跡』P75-97
1982年3月 「矢出川第Ⅰ地点の細石刃の分析」『報告・野辺山シンポジウム1982』P23-30
1980年4月  「シンポジウムを聞いて」『神奈川考古』第8号 P127-130 


講演・口頭発表

2020年1月 「ヒスイ・コハクからみた縄文時代の交易関係」神奈川県秦野市桜土手古墳資料館
2019年11月 「移動生活と石材確保 ~砂川類型に見る在地系・非在地系石材の消費~」シンポジウム 『砂川遺跡 ─旧石器時代研究の過去・現在・未来─』
2019年10月  「ヒスイから見た縄文時代」2019年度新潟県埋蔵文化財センター講演会
2019年7月 「島嶼部へと渡った縄文人」 シンポジウム「海峡をつなぐ資源と道具」明治大学
2019年2月 「赤山陣屋遺跡の木組み遺構を考える」 シンポジウム「「トチの実加工場」は存在したのか?」 明治大学
2018年12月 「緑色岩を用いた磨製石斧製作」 シンポジウム「ナイフ・石鏃・磨製石斧─石材資源とその流通─」 明治大学
2018年9月 「神子柴遺跡再考」 シンポジウム「神子柴系石器群」伊那市
2016年11月 「副葬品からみた縄文社会」 平出遺跡歴史講座
2016年1月 「ドングリと水場」 下宅部遺跡関係歴史講座(東村山市ふるさと歴史館)
2015年11月 「遊動から定住~縄文文化の成立~」大東文化大学地域連携セミナー
2015年10月 「植物資源の利用技術」明治大学リバテイアカデミー
2015年3月 「関東地方における資源利用の一形態」山形県立うきたむ風土記の丘資料館
2014年12月 「縄文人の知恵」県立博物館歴史講座
2015年11月  「古墳時代前期の玉作り」日本玉文化学会総会(市川市歴史館)
2014年10月  「東国経営を担った豪族」企画展「甦る鉄検」講演会
2014年2月 「ヒスイ製大珠の分布」シンポジウム「副葬品から見た縄文社会」明治大学
2014年1月  「さきたま古墳群について」 討論「さきたま古墳群の謎」大宮ソニック
2013年11月 「大珠研究の意義」公開シンポジウム「縄文時代の装身具の考古学」早稲田大学
2013年9月 「森の資源とその利用」明治大学リバテイアカデミー
2013年10月 「ヒスイが語る縄文社会」朝霞市立博物館 企画展講演
2013年2月 「装身具から集落構成を探る」船橋市飛ノ台歴史講座
2012年12月 「水場遺構とは何か」シンポジウム「縄文時代の資源利用」明治大学
2012年11月  「ヒスイ製大珠の分割」シンポジウム「縄文時代のヒスイ製大珠を巡る研究」明治大学
2012年11月  「コハクが巡る縄文社会」銚子市歴史講座
2012年7月 「古墳へと運ばれた石」 さきたま史跡の博物館 歴史講座
2011年11月 「海の幸・山の幸」企画展関連講座 さきたま史跡の博物館
2011年10月 「ヒスイから見た縄文時代の交易」桶川市歴史民俗資料館講演会
2011年9月 「ヒスイとコハク」縄文ゼミナール 尖石考古館
2010年11月 「縄文時代の埋納行為」山梨考古博物館企画展記念講演
2010年1月 「ヒスイ玉から縄文の村を考える」ふじみ考古教室
2009年11月 「装身具から縄文社会を復元する」東京都埋蔵文化財センター 歴史講座
2007年11月 「威信財流通の社会的形態」日本玉研究会総会 栃木大会
1991年11月 「石材環境から見たナイフ形石器文化」日本考古学協会(宮城)
1991年5月 「本ノ木論争の意義」日本考古学協会(茨城)
1991年3月 「極東地域の考古学調査の問題」石器文化談話会
1991年1月 「西南日本における神子柴文化の系統」千葉大学考古学研究室
1990年10月 「尖頭器文化の認定を巡る学史的背景」土曜考古研究会
1990年2月 「神子柴文化研究の現状と課題」千葉大学考古学研究室
1990年6月 「入間市西武蔵野遺跡の調査」埼玉考古学会
1989年10月 「槍先形尖頭器の地域的様相」長野県考古学会
1989年10月 「関東地方の斧形石器について」日本考古学協会(富山)
1989年1月 「斜格子文の系統について」土曜考古研究会
1988年5月 「砂川先土器時代遺跡の研究」日本考古学協会(埼玉)
1987年6月 「姥原遺跡の調査」埼玉考古学会
1986年12月 「草創期石器群の変遷」埼玉考古学会シンポジウム
1986年2月 「先土器時代の遺跡ついて」 土曜考古学研究会
1983年12月 「ナイフ形石器の組み合わせについて」神奈川考古学会シンポジウム 
 
 

カルチャー

2019年5月 「縄文時代の水場利用」 読売カルチャー北千住
2017年5月 「台湾の石器時代─卑南文化について─」     〃
2016年7月  「縄文時代の交易」      〃
2016年3月 「民族史と考古学」      〃
2015年12月 「縄文時代の植物利用」    〃
2015年8月 「縄文時代の水場遺構」    〃
2015年5月 「墓に入れられたヒスイとコハク」   〃