2026.03
阿久悠『銀幕座二階最前列』のなかの都電と学生街の風景
明治大学史資料センター運営委員・阿久悠記念館運営責任者
冨澤 成實(政治経済学部教授)
校友で作詞家・小説家の阿久悠(1937~2007)の自伝的な長編小説『銀幕座二階最前列』(講談社、1996・7。初出はJCBカード会員会報誌『カードエイジ』1994・4~1996・3で、その際のタイトルは『二階最前列』)のなかに、かつて東京都心の主要なモビリティだった路面電車「都電」に主人公が乗車する場面がある。主人公の「ぼく」は昭和30年代初頭に「お茶の水駅(ママ)から駿河台下に下る坂の途中にあ」る「M大」に通う大学生だが、一方で「あらゆる映画を見歩いてい」(「老人とジゴロ」)る熱心な映画青年でもあった。なかでも、神田神保町と思しき、「その坂を下りきって書店がずらりと並ぶ、如何にも学生街らしい一画」にある、名画座形式の映画館「銀幕座」はいちばんのお気に入りで、「ほとんど我が家のようになっていた」(同)。帰省した九州の宮崎から戻った翌日、久しぶりに銀幕座を訪れると、映画館気付で自分宛ての、彼が敬愛する常連客のひとりである自称元映画監督の平戸伝八郎(ひらと・でんぱちろう)からの救済を求めるただならない手紙が届いており、心配になった主人公が手紙に記されていた住所「新宿区戸塚」(「鼠と都電と赤とんぼ」)を目指して急遽、都電を利用するという場面である。
駿河台下の都電停留所へ行き、ちょうどやって来た15番の系統の電車に乗った。乗ったと思うとチンと鳴る。車掌が来たので、十三円を支払った。東京へ来たばかりの頃は十円で、何かと便利であったのだが、昨年、つまり昭和三十一年の二月から三円高くなった。(「鼠と都電と赤とんぼ」)
昭和32(1957)年当時の、停留所の名称や都電の系統番号、発車時に発せられるベルの音、運賃の支払い方法と金額、値上げの時期といった具体的な情報が克明に描写されている。これに続く場面でも、15系統の起点と終点の停留所名(茅場町・高田馬場駅前)とその間の距離(約9.4㎞)や、目的地である新宿区戸塚最寄りの高田馬場駅前までの経路とそこに到着するまでの間に通過するすべての停留所名合わせて15か所(ただし、小説本文では「九段坂下」「早稲田車庫」とあるが、稿者が参考にした昭和25年5月1日現在「電車案内図」<東京都交通局『わが街わが都電』(平成3・8)の添付資料>によると「九段下」「早稲田車庫前」)が逐一明示されている。明治大学の阿久悠記念館に保管されている阿久悠日記(1981・1・1~2007・7・15、全27冊。非公開)は、政治や経済から国際、芸能、スポーツ関連の出来事までを詳細に記述しており、この意味でも1980年代から2000年代にかけての約30年間の日本社会を映した貴重な史料である。都電を描いたこの場面を含めて、昭和30年代初頭の東京を舞台としたこの小説は、時代を丹念に観察し続けた阿久悠の手法を存分に発揮した作品だといえよう。
だが、それ以上に注目したいのは、乗車後に都電のスピードについて触れたつぎのような場面である。
それに、街の風景を目に映し、頭に入れるのに、これ以上の乗り物はない。高さがちょうどいい。スピードもまた、せいぜいが、映画に於けるパンという横移動程度で、人間の生理に合っているのである。看板を記憶することも、ポスターを読み取ることも出来る。(「鼠と都電と赤とんぼ」)
シナリオライター志望の主人公は同時代の大衆文化や娯楽の動向、社会的な現象に強い関心をもつが、大学への進学を機に新たに暮らすことになった東京という街そのものが地方出身のこのような彼にとって、とりわけ理解すべき重要な対象となっている。そのためもあってか、彼は車窓から東京の街並みを注意深く見つめ、看板やポスターを読み取って脳裏にしっかりと定着させようとする。それには路面電車の窓の高さと、そしてこの緩やかな走行速度が最適だというのである。
ところで、都市論を専門とする社会学者の吉見俊哉氏は『東京裏返し 社会学的街歩きガイド』(集英社新書、2020・8)のなかで、東京都心に路面電車を復活させることを提案している。本書によれば、「都市のなかを移動する人間が、その移動している空間に内在していると感じられる限界」は「時速一三—一四キロくらい」で、それは街中を走る自転車、そして路面電車の速度だという。現代人の歩行速度は平均時速4キロだが、このとき「私たちの身体(からだ)はなお街の一部」であり、「街の風景のなかに身を置きながら、ふたつの場所の間を移動」する。しかし、時速40キロの自動車や電車となると、「私たちの身体はもう街のなかには」なく、「街から切り離され」てしまう。つまり、このような状況下において自動車や電車は単なる移動のための手段でしかなく、一方の主体はただの乗客となって街の風景の外側におかれ、車窓の街は内的で生き生きとした体験とは無縁な存在と化してしまうのである。そこで吉見氏は、「街が持つさまざまな文化的(中略)価値に光を当てるメディア的機能を持つ」トラムによってネットワーク化された都市空間の再編成を提唱するのである(30~32、77~78ページを参照)。
さて、こうして駿河台下から都電に乗った主人公の眼には、まず神田の学生街の街並みが映る。
ぼくが乗った15番の都電は、駿河台下を出て、神保町、専修大学前と、書店が並ぶ学生街を走る。まだ夏休みが終わっていなくて、学生の姿はほとんどなく、したがって人通りもごくまばらで、ただただ白いだけの残暑の季節が、あてなく乱反射して踊っていた。(「鼠と都電と赤とんぼ」)
車窓に広がる、残暑の強い日差しが人通りのまばらな路面に乱反射する、閑散とした夏休みの学生街の光景が主人公の眼差しによってこのように映し出されるが、それはいま述べたように都電のスピードが低速だからである。低速ゆえに彼は車両とともに移動しながらもなお身を街のなかに置き、彼自身を街の一部のように感じるのにちがいない。かりに高速走行の電車やバスであれば、身体は街の外側におかれてしまう。「人間の生理に合っているのである」と語った、語り手でもある「ぼく」の言葉はこのことをよく伝えているだろう。
では、都電で移動しながらこのような街の風景のなかに身を置く主人公とは、どのような存在なのだろうか。それは、将来の進路をめぐって二つの職業の間で揺れる不安定な青年という存在であるだろう。
そのひとつはむろん、教員である。主人公は教職課程を受講しているらしい、先に触れたとおり「M大」文学部の3年生で、翌年には卒業を控える身である。また主人公は、教育者になろうとする息子を両親が誇りに思ってくれていることを承知しているし、すでに職を退いた父親が経済的な支援をしてくれることに恩を感じてもいる。したがって、教職に就くことはあまりにも自然なことである。しかしながら、他方ではシナリオについての勉強の一環として、銀幕座の暗闇のなかでノートにペンを走らせ、上映されている映画からシナリオを再現する作業に没頭するようなシナリオライター志望の青年である。このことは両親を落胆させもするだろうし、そもそも自分にそのような才能が備わっているのか自信がないながらも、彼は脚本を書きながら生涯、映画製作に関わりたいと強く願っているのだ。
この脚本と映画に関する主人公の願望は、いま彼が都電に乗って向かいつつある元映画監督の平戸伝八郎と結びついている。なぜなら、平戸伝八郎は主人公と同じく銀幕座二階最前列の常連で肩を寄せ合って映画を鑑賞するいわば同志のような存在であり、実際にこの場面の後、駆け付けた主人公に対して、死ぬまでにもう一本映画をつくりたいので力になってほしい旨の遺言めいた懇願をする人物だからである。このような脚本と映画の世界に繋がる人物を訪ねるための移動のなかで、緩やかに走る都電の車窓から主人公が眼にしたのが学生街の風景だったのである。将来の二つの進路を前にして乱れて揺れる主人公の空虚な気持ちは、陽光が乱れて路面に反射する、閑散とした夏休みの学生街という虚ろな風景を形成するのにちがいない。
【付記】 本稿は科学研究費補助金(令和4(2022)年度 基盤研究(C)課題番号 22K00496)による研究成果の一部である。

