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本棚 「失われたパリを求めて マルセル・プルーストが生きた街」 吉川佳英子、岩野 卓司 訳(春風社、2,000円)



数年前、私はプルースト『消え去ったアルベルチーヌ』の翻訳の校正刷をかかえてパリ右岸の由緒あるホテルにしばし滞在していた。プルーストを訳す以上、セーヌ右岸の雰囲気に浸らなくては最後の仕上げができないと思ったからである(それは正しい判断だった)。きっかけは2005年に出た本書の原書にあたる書物を読んだことだった。当時はまさかこの本が翻訳されるとは思いもしなかった。

本書はプルーストの人生と作品のみならず、フランス近代の藝術、文学、サロン、都市生活、歴史等についても新たな観点を与えてくれる。翻訳は丁寧で、注も懇切である。頻出する固有名詞がきめ細やかに時代を描き、人々を生き生きと登場させ、都市の姿をくっきりと浮かび上がらせることにも繋がっている。ニューヨークでもウイーンでも、パリでなければ『失われた時を求めて』は生まれなかった。近代のパリ以上に「詩的な創作のトポス」(訳者)として機能した町はない。このパリと並べるとしたら、違う意味でおそらくヴェネツィアしかないだろう。

髙遠弘美・商学部教授(訳者は順に法学部講師・同教授)