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論壇 被災地を歩いて 監事 熊﨑 勝彦

あのおぞましい東日本大地震から早や2カ月半が過ぎた。

先日、東北の震災地を歩いた。石巻市の延々と続く瓦礫の山の間を歩き、思わず合掌。言葉が出ない。辺りは静まり返り、ところどころに何かを探し求めている人影を見かけた。途中、火災で廃墟と化した学校の様には衝撃を受けた。仙台市若林地区の被災地では、一面松の木がなぎ倒され、荒涼とした砂漠の様。帰り、ご遺体の埋葬地近くを通り、思わずまた合掌。私は、無力さと、もどかしさを感じた。これは、もう理屈や議論ではない。まずは素早い救済を。そしてこの惨状をどう受け止め、これを今後にどう生かすかだ。

天災は人の予想を超える自然の変化によって起こる災害と言えよう。果たして、この大震災は人の予想を超えるものであったのだろうか。歴史に顧みて、想定外の事態を想定する必要はなかったのか。その原点から問いかけて見なければならない。東京でも、震災当日、私は、車で、僅か5分程度で事務所に帰り得る所を5時間以上かかった。交通や携帯電話の麻痺、家路を急いで歩くあふれる人々。まさに文明社会の粋を集めた都市生活の基盤の脆さが露呈した。さらに、生活物資の欠乏と福島第一原発事故による放射能汚染や、情報による風評被害が輪をかけるようになり、天災は間切れもなく深刻な人災へと拡大した。高度に進化した文明が自然の大災害に敗北しただけではなく、かえって、進化した文明による人災へと拡大したのだ。未だ、国や社会は、復旧、復興できるかの岐路に立たされている。特に、原発事故は深刻だ。そこで指摘されるのは、近代の目覚ましい科学の振興、技術革新により、文明社会は高度に進化したが、人々は、こういった進化した文明社会の科学や行政への依存の度合いを深め、それ故、逆に人間としての強い自立心、精神力や協力、連帯の精神が減退したと言われており、そこにこの大災害が直撃したという事だ。原発に支えられた豊富な電力を使い、日本ほど夜の街角の明るい所はなかっただろうし、また、確かに、自動販売機はいたるところにある。国や行政によるサービスは次第に行き届き、文明社会の発展と共に高度な快適さを享受して来た人々は、この大震災による歴史的試練をどう乗り切れるかだ。復旧、復興のカギは、減退してきたと言われるこう言った強い自立心と連帯の精神を発揮できるかどうかにかかる。

今、報じられる被災地の方々の強い精神力と連帯心の発揮、ボランティア活動は、復活への証だと思う。この震災後、外国から、日本人の冷静な忍耐力、強い連帯心を国民の質の高さとして評価を得ていることは、注目に値する。

また、高い防潮堤を築いても人々や家は津波に飲まれ、安全と言われた原発の冷却用電源装置が破壊されて、放射能汚染が広がり、東京の大渋滞等。ここに歴史を教訓として、想定外の事態を想定し周到な地域造り、国造りを行う必要性である。

狭いリアス式海岸のいくつかを自然に戻し、漁港や港湾を集約化し、高台に住居を置き、漁業、港湾施設等のみを海側に置き、津波からの避難路の確実な確保など自然と共存する東北の地域造りはどうか。原発は日本に54基あり、浜岡、美浜、敦賀原発などは、活断層の上付近にあると言われているが、日本のような地震多発国において、街の無用な明るさを抑え、電車の本数を間引きし、自動販売機を減らすなどの省エネ社会の実施、高度な便利さから社会をもう少し後ろに戻してやる考えはどうだろうか。消費電力を抑え、これほど危険と判った原発を減らし、風力や太陽光による発電の推進を図る安全社会の実現だ。また、東京一極集中を抑え、その三分の一くらいの機能を地方に置き、仮に東京が被災しても、地方にある別のもう一つの東京が国を動かせる機能を持たせては。江戸時代は、政治は江戸、経済は大阪、文化は京都にあったが、バランスの取れた国造りだ。そのためには、財源の確保と政治の強いリーダーシップが必要だ。

この未曾有の大震災を機に、復旧、復興に止まらず、思い切った新しい人造り、国造りを行い、日本を創造的夜明けに導きたいものである。

(弁護士)