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2017 新春対談 明治大学の明日を語る



創立135年の節目の年に就任した柳谷孝理事長、土屋恵一郎学長が対談。
現在の心境や学生時代の思い出、これまでの社会の変化や明治大学の変遷を辿りながら、「明治大学の明日」について語った。

創立135年の節目に就任



牛尾 本日は、「明治大学の明日を語る」というテーマで柳谷理事長、土屋学長のお二人にお話を伺いたいと思います。初めに、2016年度から理事長、学長に就任され、公務を行ってこられたわけですが、現在の率直なご感想をお聞かせください。まずは、企業の第一線でご活躍されて、このたび理事長として大学に戻ってこられた柳谷理事長、よろしくお願いします。

柳谷 5月10日に理事長に就任して、まず行ったことは、各キャンパス・大学施設を見ることでした。今の明治大学を自分の目で見ることが出発点だと思っていましたので、各キャンパスを訪問して教育・研究の最前線でお仕事をされている教職員の皆さんにお話をお伺いし、課題の把握に努めました。生き生きとした表情でキャンパスライフを送る学生を間近で見て、社会に出て活躍できる人材を輩出しなければならないと強く感じました。また、大学は学生、教職員はもちろん、校友、ご父母、地域コミュニティの方々など多くの方によって支えられているのだと実感しました。理事長として、そうした方々の満足の総和を拡大していかなければならないと考えています。現在は、大学全体を俯瞰しながら、さまざまな課題を検証し、優先順位を見極めていくことに力点をおいて取り組んでいます。

牛尾 柳谷理事長が全キャンパスを精力的に回っていらっしゃるとお伺いして、証券マン時代のスタイルではないかとお見受けしておりました。

柳谷 企業経営でも同じですが、いろいろな方のご意見を伺うというのはとても大切なことだと思っています。自分だけの考えでは視野が狭くなり、一方通行になってしまう恐れがありますので、広い視野が保てるようにその辺は意識していますね。

牛尾 企業と大学は全く違う組織ですし、異なることも多いかと思いますが、明らかにここは違うなと感じられたことを、強いてあげるとどこでしょうか。

柳谷 大学は、学内のコンセンサスを得ながら、物事を形成していくことを大事にしている組織であると思っています。しかし、中には時間がかかってしまうこともある。時には、結論を先延ばしにすることなく決断しなければならない場面に直面することもあるかもしれませんが、こうした大学のスタンスを大切にしながら、個別に対応していかなければならないと思っています。

牛尾 土屋学長は振り返って、いかがでしょうか。

土屋 まず、大きな転換期を迎えている明治大学として、柳谷理事長に就任していただけたことは、大変有意義なことだと思っています。柳谷理事長は同世代ということもあり、同じ目線で物事を考えることができ、フットワークも軽いので、非常に感謝しています。私自身としては、明治大学の個々の力を結集して、教学と法人の区別を越えて全体として事業を推進していきたいと考えていましたので、着実にその成果が表れてきていると思います。一つは、文部科学省の「大学の世界展開力強化事業」に、本学のプログラム「CLMV(カンボジア・ラオス・ミャンマー・べトナム)の持続可能な都市社会を支える共創的教育システムの創造」が採択されたことです。国立大学を含め8件の採択のうち、私立大学は本学を含め2件でした。これまで、グローバル30(国際化拠点整備事業)やスーパーグローバル大学創成支援事業など、社会から求められている国際化の取り組みに対して、先陣をきって成果を上げてきていますが、今回の採択もさらなる弾みをつけてくれるものだと思っています。もう一つは、「私立大学研究ブランディング事業」です。先端数理科学インスティテュート(MIMS)を中心にした数理科学の研究の取り組み「Math Everywhere:数理科学する明治大学」がこのほど選定されました。いずれにしても、私が学長に就任してチャレンジしてきたことが形となり、とても嬉しく思っています。

牛尾 教育・研究分野はもちろん、スポーツの分野でも活躍が顕著でしたよね。

土屋 硬式野球部をはじめ卓球部、水泳部、サッカー部、剣道部、射撃部など全日本レベルで優勝しています。研究や国際連携も含め、いろいろな面で成果を上げることで、大学全体が活気づき、学生たちが言う「やっぱり明治がナンバー1」という勢いが生まれてくるのだと実感しています。一方で、課題もあります。総合的教育改革に伴う100分授業の導入、収容定員増や授業料の見直しなど、いろいろな部分でご負担をかけることもあるのですが、明治大学がさらなる一歩を踏み出すためには必要なことです。ご理解、ご協力をいただきながら、全教職員と共に進めていきたいと考えています。

「個」を磨いた学生時代



牛尾 お二人の学生時代についてお伺いしたいと思います。土屋学長は、法学部のご出身ですが、1960年代後半の大学の雰囲気はどうでしたか。豊かな発想や多彩な人脈など、大学時代が大いに影響しているのではないかと思っています。

土屋 1965年に入学しましたので、いわゆる全共闘世代の初期に学生時代を過ごしたことになります。当時は、社会や物事について少しでも考えている学生であれば、影響を受けずにはいられない状況だったと思いますが、私もそうした中にいました。当時、米国原子力潜水艦の横須賀来航や日韓基本条約の反対闘争など、各地でデモが行われていましたし、明治大学でも、私が2年の時に学費値上げ反対闘争が始まり、10月には和泉キャンパスでバリケードができました。激しい全共闘運動が始まり、東大安田講堂での事件も起こりました。当時の多くの学生は、そうした社会全体の高揚感に包まれながら、生活をしていたと思います。大学が閉鎖していたので、自ら勉強しようとする気概のようなものがあったと思いますし、独学で司法試験に現役合格するなど優秀な学生もいました。1年生からマルクスの『資本論』や、難しい本を読んで、勉強する意欲が強かった。そういった意味で、学生時代は哲学的な思考で自らの生き方などについて考える期間だったわけです。社会全体が大きく転換しようとする時に、個人が「自分がどうあるべきか」ということを自ら考えていたので、ある種、成熟していたのでしょう。今の学生もある意味では成熟していますが、遮二無二自分の関心のある領域に挑戦していく気概に欠けるようにも思えて、そこが気になりますね。

牛尾 激動の中、学生時代を過ごされていたということですね。柳谷理事長はいかがでしょうか。商学部のご出身で、1970年代前半を明治大学で過ごされています。

柳谷 私の頃には学園紛争はほぼ一段落していて、休講もほとんどなかったと記憶しています。落ち着いた雰囲気になっていくところでした。私自身は、経済事情研究部に1年生の時に入りまして、マルクス、ケインズ、サミュエルソンなど経済学の勉強を始めました。研究テーマを決めて、自動車産業の研究ではトヨタ、中国経済では日中友好協会などに見学に行き、和泉祭で成果発表などもしました。2年生の時は和泉の支部長を務めまして、後に現在の妻と出会うことになりました。そうした中、自分の将来について考えた時、「結局、勉強するしかないな」と気付きまして、3年次のゼミ選択では当時、商学部3大ゼミの一つといわれた、証券市場論の一泉知永教授のゼミに入りました。夏期休暇や冬期休暇には、経済の専門的な本を10冊以上渡されてサブノートを作ったり、毎週テストがあったり、勉強漬けの毎日でした。厳しいゼミでしたので落第する方もいましたが、それを乗り越えた仲間たちとは、生涯の友になりましたね。今でも、経済事情研究部は毎年10月にOB・OG会をやっていますし、一泉ゼミも毎年1月に先生の墓参と新年会をやっています。ほかにも、私自身、高校時代にラグビー部に所属していたので、ラグビーは熱心に応援していましたし、神宮球場にも野球の応援によくいきました。あとは、当時は麻雀が大流行していたこともあり、仲間たちと結構やりました。強かったですよ(笑)。

組織で光る、自ら切り拓く



牛尾 柳谷理事長は卒業後、野村證券に入社されました。就職は迷いなく証券業界ということだったのでしょうか。

柳谷 一泉ゼミは証券市場論が専門でしたし、私自身、非常に興味がありました。また、ゼミの先輩も何人か入社していましたので、事前にいろいろな情報やアドバイスをいただけたことも決め手の一つです。何よりも、野村證券は、学閥、閨閥一切関係無しの実力主義の会社ですから、その中で自分の力を試したいという思いも強くありました。

牛尾 お忙しい毎日を過ごされていた中、卒業後の明治大学にどのような印象をお持ちでしたか。

柳谷 現在、野村證券には506人もの明大出身社員が在籍しているのですが、その理由を採用担当役員に聞くと、「明治の学生は、辞めないんです」という答えが返ってきました。つまり、厳しい環境の中でも仕事に取り組み、「前へ」進むことができる気質をもっているといえるのではないでしょうか。証券業界はモビリティが高い業界ですが、明治大学出身の学生はどんな仕事でも粘り強く成し遂げることができる。約29,000人の社員がいて、外国籍の方もいる。若手の抜擢も多い組織の中で、力を発揮することができるということで、これは今後も明治大学が大切にしていかなければいけないことだと思います。

牛尾 土屋学長は、その後大学院に進まれ研究者の道を歩まれるわけですが、企業にお勤めになろうとは思われなかったのでしょうか。

土屋 企業に勤めるということはできないと思っていましたし、組織に属するという発想がありませんでした。私の家が料理屋ということもあり、むしろ家を継ぐかどうかという選択肢はあったかもしれません。新宿にカレー店を開いて、チェーン展開するというような事業を具体的に考えたこともあったのですが、いろいろな巡り合わせの中で、助手になってしまったので実現することはありませんでした。あのままやっていたら、当然現在とは違う華麗な人生があったと思うのですが(笑)。私自身、当時は、「本を読む」「文章を書く」ということに対する意欲が狂おしいほど強かったですし、ワープロがない時代に、万年筆で物を書くことに最高の快楽がありました。また、私が研究していた、哲学や思想という分野において、明大出身の研究者はその頃ほとんど表に出ていなかったので、その分野を自分が切り拓いて、自分一人の力で、仕事をやっていくという野心が強かったのでしょうね。

牛尾 約50年間、明治大学の変遷を見てこられて、特別な思いがあると思うのですが、いかがでしょうか。

土屋 18歳で入学してから現在までですから、自分の人生は明治の歴史とは分かち難いものがあります。たとえ建物や街の景色といった、記憶の中の風景が変わってしまっても切り離せません。ただ、そうした繋がりがある一方で、明治を離れても生きていける人間でいたいと強く思っていました。今の学生にも、愛校心は持ちつつも、この広い世界の中で、肩書なしでも自分の力で生きていける、そういう自信をもってほしい。我々もそうした人材を輩出していく使命があると思っています。

牛尾 確かに看板を背に自分のアイデンティティを形成しようとする人もいますが、明治の学生は「自分ブランド」を確立している学生が多いですよね。

土屋 まさに、それこそが「個を強くする」という意味です。明治大学の学生が社会や企業から評価される一因ではないかと思っています。

トップユニバーシティを目指して



牛尾 明治大学は、今後、どのような大学を目指すべきか。ビジョンをお聞かせください。

土屋 とりわけこの10年間は、明治大学をアジア、そして世界の中で際立たせていこうと、さまざまな取り組みを積極的に推進してきました。ただ、将来の大学像を考えてみると、まだまだ明治大学はローカル大学の域を脱していません。とりわけて、大学教育の在り方を根幹から見つめ直す必要があると思っています。なかでも、教養教育はとても重要です。世界の文化や宗教、哲学などを理解することが、本当の意味で国際人としての強い「個」を作っていくものだと考えています。また、専門教育においても、大学院、学部の接続を密にするなど、将来の大学教育に耐えうるものにしていきたいです。シンガポールの大学を訪問してみると、空間そのものがこれまでの教育の視点を越えています。幸い、施設については、創立140周年を見据えた新教育棟の建設計画があり、明治大学でも、将来の教育の在り方を求めながら、先進的な教育のモデル、学生が共に学ぶことのできるコモンラーニングの構築に、先陣をきって取り組んでいかなければならない。さらに、研究の面でも、全学の研究ブランディングを強化する必要があります。今回、MIMSを中心とした取り組みが、研究ブランディング事業に採択されましたが、これからは、全学部・研究科の研究ブランディング事業を進めて、明治大学を研究の面でも先進的なものにしていきたいですね。明治大学が圧倒的な存在になるために、何が必要か、すべての構成員の皆さんの理解を得ながら進めていきたいと思っています。

柳谷 基本的な考えとしては「不易流行」、これを見極めていかなければならないと思っています。建学の精神である「権利自由・独立自治」、「個を強くする大学」としての人材育成、そして「前へ」の精神など、受け継いでいかなければいけないものがあります。一方で、AIやロボットの発達により、今ある仕事の多くは変わっていく。学びのルールも変わり、社会の求める人材の姿も明らかに変わってきています。そういう中で、大学だけが変わらずにいるということはありえません。変化することへのリスクを恐れ、現状を変えられない組織や国家は、いずれ衰退していく。そのことは、歴史が証明しているところです。明治大学も時代を先取りして、変革をしていかなければならない。すでに、土屋学長の下、総合的教育改革や国際化の取り組みなどが進められています。私も一歩先を常に見据えながら明治大学の在るべき姿を求め、そして実現していかなければならないと思っています。その蓄積が、アジアや世界においてトップユニバーシティになるということではないでしょうか。法人としては、2011年に策定された「学校法人明治大学長期ビジョン」に基づいて現在「第1期中期計画」が進行していますが、2018年度からは中期計画も第2期を迎えます。今年は、来たるべき本学創立140周年を見据えた上で、「第2期中期計画」を策定していきたい。また、キャッシュのインフローとアウトフローの整合性を見極めながら、教学計画とすり合わせて事業を進めていくことが私の責務だと感じています。

牛尾 ぜひお二人が先頭に立って、明治大学という大きな船を良い方向へ導いていただきたいと思います。本日はどうもありがとうございました。

理事長 柳谷 孝
1975年明治大学商学部卒業。1975年野村證券㈱入社。1997年同社取締役、2006年同社副社長、2008年同社副会長など歴任。昭和産業㈱社外取締役などを務める。2016年5月より現職

学長 土屋 恵一郎
1970年明治大学法学部卒業、1977年同大学院博士課程単位取得退学。1978年明治大学法学部助手、1993年同教授。法学部長、教務担当常勤理事など歴任。2016年4月より現職。専門分野「法哲学、近代イギリス思想史」

進行役:副学長(広報担当)
牛尾 奈緒美
フジテレビアナウンサーを寿退職した後、子育てをしながら大学院へ。1998年入職。2009年情報コミュニケーション学部教授。2016年4月より現職。研究テーマは「企業に働く人々がジェンダーの枠を超えて活躍できる場・方策を考案」