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江隆基の日本再訪(留学生編)

2026.03
江隆基の日本再訪
 
明治大学史資料センター運営委員
三田剛史(商学部教授)
 
 江隆基(1905~1966年)は、北京大学、明治大学、ベルリン大学に学んだ中国共産党員で、中華人民共和国建国後に北京大学副学長、蘭州大学学長を歴任したが、文化大革命の迫害を受け死去した。1927年8月に江隆基は留学のために渡日し、明治大学政治経済学部に在籍したのは1928年春から1929年秋までであった。日本留学中に中国共産党員として政治活動に参与していた江隆基は、1929年9月には反日デモに参加したかどで逮捕され、国外追放となり帰国した。1936年以降は、中国共産党のもと一貫して教育部門で活動していた。1958年には反右派闘争の中で北京大学副学長を解任され、蘭州大学学長に異動させられた(参照:アジア留学生研究会シンポジウム「アジアに広がる明大山脈」“https://www.meiji.ac.jp/history/mkmht000000uhosh.html”、拙稿「江隆基」『白雲なびく遙かなる明大山脈(③アジア編Ⅰ)』DTP出版、2023年)。そして江隆基は、1963年11月末から約1ヶ月、中国学術代表団の一員として、約24年ぶりに日本を再訪した。
 『日中教育学の交流—中国教育研究会報、江隆基先生歓迎記念集号—』(中国教育研究会、1964年4月)には、江隆基の日本における講演記録や、日本での交流活動の記録がまとめられている。同書の内容から江隆基訪日の主な日程を以下に再現してみる。
 11月30日 本郷学士会館で関東地区歓迎委員会主催集会
 12月3日 東京大学で日本教育学会有志など主催集会
 12月4日 法政大学で講演「プロレタリア階級の政治に奉仕し生産労働と結合する教育方針」
 12月5日 早稲田大学で講演「新中国高等教育の改革と成長」
 12月6日 横浜地区訪問
 12月7日 神保町麵業会館で中国教育研究会・ソビエト教育研究会とのシンポジウム
 12月8日 工学院大学で講演
 12月9日 静岡大学で交流
 12月10日 名古屋大学で歓迎集会
 12月11日 名古屋大学で教育学研究者との交流
 12月12日 京都ミヤコホテルで歓迎晩餐会
 12月13日 京都教育学会の歓迎会、滋賀での教育集会で講演
 12月14日 奈良観光
 12月15日 立命館大学で歓迎集会、講演「中国の教育について」
 12月16日 天竜寺で関西教育界代表者らと集中研究会
 12月17日 和歌山で民間団体などと懇談、道頓堀文楽座で人形浄瑠璃鑑賞
 12月18日 大阪大手前会館で大衆集会、講演「中国の道徳教育について」
 12月19日 神戸大学で教育関係者と意見交換
 12月20日 広島へ移動(この間詳細不明)
 12月24日 九州大学で学術交流会教育学分科会、飛行機で東京へ移動
 12月25日 日教組中央委員会と交流
同書の記録からは、明治大学訪問や明治大学の教員、学生との交流は確認できなかった。中国学術代表団と江隆基の訪日と日本での交流については、同書の他にも日本国内の教育学関係誌などに記事があるとされる。
 同書冒頭には早稲田大学での講演録が収録されている。江隆基は同講演で、半殖民地的・半封建的であった中国の高等教育は、「経済的にも文化的にも遅れている(一窮二白)」中国社会の状況をあらためるため、人民共和国成立後に毛沢東の指導のもと「赤い専門家」を養成すべく改革が進められ、「教育と生産労働を結合する」ものとなり、「百花斉放、百家争鳴」の方針のもと教育と学術の水準向上が進められていること、などを述べた。江隆基にとって24年ぶりの日本の印象は、女子教育の発展と各大学での女子学生の増加、町中の看板に英語が多く新聞にも外来語が多いこと、交通機関の発達と自動車の氾濫の3点にまとめられている(新島淳良「江隆基さんという人」同書、79頁)。
 ただ、62年後の今日から見ると、訪日中の江隆基は語らなかったことがあまりにも多いのではないか。1957年からの反右派闘争が中国の大学に何をもたらしたのか、北京大学学長の馬寅初はなぜ失脚させられ自身はなぜ蘭州大学に異動させられたのか、翻訳に際して削除されたのでなければ、早稲田大学での講演ではまったく言及されていない。また同書を読む限り、2年間の日本留学中のことについても、明治大学に在籍したということと下宿した大岡山と中野の地名以外、訪日中に江隆基はほとんど何も述べなかったらしい。新島淳良は前掲記事で江隆基が日本留学について語ったことを次のようにまとめている。
 「日本時代の江さんの思い出は漠としている。たとえば、だれか日本人の友人はいませんでしたかときいてもおぼえていない、といい、明治の先生でだれか印象に残っていませんか、ときいても一人も思いだせないという。」(同前、75頁)
 日本再訪で日本の学術界と教育界から歓迎を受けた江隆基が、文化大革命の迫害を受けて絶命するのは、この訪日から2年半後、1966年6月25日のことである。