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明治大学留学経験者が関わった韓国女子高等教育—朴俊燮と徳成女子大学の運営—(アジア編)

2026.6 
明治大学留学経験者が関わった韓国女子高等教育
—朴俊燮と徳成女子大学の運営—
 
明治大学史資料センター運営委員
山下達也(文学部教授)
 
 明治大学の卒業生の歩みをたどると、その活動の舞台が日本国内にとどまらず、東アジアのなかへ広がっていたことに気づかされる。政治、経済、法曹、教育、文化など、多様な分野で活躍した卒業生のなかには、戦前期にアジア各地から日本へ渡ってきた留学生たちもいた。日本統治下の朝鮮から明治大学に学び、のちに韓国女子高等教育の展開に関与した朴俊燮(1902-1970)も、そうした人物の一人である。
 朴俊燮は、1902年11月、平安南道中和郡に生まれた。地元の学校を経て、京城の培材学堂に進学し、1922年に日本へ渡った。日本では明治大学政治経済学部に学び、1928年に卒業した。政治経済学部での学びは、政治・経済・行政・社会制度に関する知識を身につける機会となり、のちの朴の歩みに深く関わっていくことになる。
 当時、東京には多くの朝鮮人留学生が集まっていた。彼らは大学で専門知識を学ぶだけでなく、他大学の留学生とも交流し、植民地支配下にある朝鮮社会について思索し、議論を交わす場を形成していた。朴もまた、明治大学の学生であると同時に、在京朝鮮人留学生社会の一員であった。明治大学で得た知識、東京で築いた人的ネットワーク、学生生活を通じて培われた組織運営の経験は、卒業後の活動を支える重要な土台になったであろう。
 卒業後、朴は朝鮮へ戻り、漢城銀行に勤務した。ここで注目されるのは、彼の活動が教育の現場から始まったわけではないという点である。朴は、金融機関の事務・管理部門で経験を積み、組織を動かし、財務や文書、手続きを扱う実務能力を身につけていった。
 1945年の解放後、朴の活動領域はさらに広がった。ソウル大学校事務局での仕事のほか、社会部理事官、厚生局長、社会局長などを歴任し、大学行政や社会行政に関わった。解放後の韓国では、高等教育制度の再編、行政組織の整備、さらに朝鮮戦争期の救護や社会事業など、多くの課題が山積していた。朴はそのような国家形成期の現場で、制度を維持し、組織を調整する実務に携わった人物であった。
 その歩みが女子高等教育と結びつくのが、徳成学園との関係である。徳成学園は、日本統治期の女性教育運動の担い手であった車美理士【注1】の活動を源流とし、解放後には徳成女子大学として発展していった。日本統治期から同校の運営に関わっていた朴は、1956年に学校法人徳成学園の理事長に就任し、徳成女子大学の制度的基盤形成に深く関与した。大学が安定して存続し発展するためには、現場での教育実践だけでなく、学科編成、教職員組織、校地・施設、財産管理、所轄官庁との交渉など、さまざまな条件を整える必要がある。朴の金融実務、大学行政、社会行政の経験は、まさにそうした学校法人経営の場面で意味をもったであろう。
 とくに注目されるのは、朴の理事長在任期が、徳成女子大学の組織整備や校地確保の時期と重なっていることである。往々にして、女子高等教育の歴史が語られるときには、創設者の理念や現場での教育活動に目が向けられがちである。しかし、大学が大学として存続するためには、教育を行う空間、財政的基盤、法人としての安定、行政上の認可や制度への対応が不可欠である。朴は、そうした目立ちにくいが重要な基盤形成を担った人物として位置づけることができる。
 ただし、朴俊燮という人物の評価には、複数の側面がある。徳成学園運営をめぐっては、創設者である車美理士との関係、朴の妻である宋今璇【注2】の「親日派」という評価、さらに学園経営の家族的継承をめぐる批判も存在する。しかし同時に、明治大学で学んだ一人の朝鮮人留学生が、帰国後に金融、行政、大学運営、私学経営を横断し、韓国の女子高等教育を支える制度的条件の形成に関わったことは、卒業生の多様な足跡の一部として記憶されるべきであろう。
 
【注1】車美理士(1879-1955)は、朝鮮の女性教育運動を担った人物である。1920年に朝鮮女子教育会を設立し、翌年には女性向け夜間学校を開設した。その後、槿花女子学校の設立に関わり、徳成学園の源流を形成した。日本の統治に抗い、完全な独立と朝鮮半島の統一を志向するナショナリストであり続けたことから、2002年に「独立有功者」として叙勲された。
 
【注2】宋今璇(1905-1987)は、朴俊燮の妻であり、徳成学園の運営に深く関わった人物である。淑明高等女学校を卒業した後に日本に留学し、新潟県柏崎高等女学校を経て、1925年に東京女子高等師範学校を卒業。帰国後は女子教育の現場で活動し、のちに徳成学園の経営にも関与した。一方で、日本統治期に対日協力活動に関わったことが批判的に評価され、2009年に「親日反民族行為者」として認定された。
 
【参考文献】
● 宋今璇編『惟徳成業——海影朴俊燮博士追慕文集』徳成学園、1971年。
● 明治大学史資料センター編『白雲なびく 遥かなる明大山脈 ③アジア編Ⅰ』DTP出版、2023年。