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山の上ホテルの前身、佐藤新興生活館の敷地取得経緯(キャンパス編)

表紙の絵は佐藤新興生活館の外観(『生活』佐藤新興生活館、1940年2月)。 図中の「一ノ四」・「一ノ五」(赤い囲み)が、串田が佐藤に売却した土地(内山模型製図社編『東京市神田区地籍図』内山模型製図社、1935年。国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/8311649)。

2026.7
山の上ホテルの前身、佐藤新興生活館の敷地取得経緯

学術・社会連携部博物館事務室・大学史資料センター担当
古俣達郎
 
 2024(令和6)年に明治大学が土地と建物を取得した山の上ホテルは、 2027(令和9)年夏、「山の上ホテル 東京」(英名:HILLTOP HOTEL TOKYO)として開業予定であることが発表された。今回のコラムでは、山の上ホテルの前身である佐藤新興生活館の建設時までさかのぼり、同館およびその後身である同ホテルの敷地がどのように取得されたのか紹介したい。
 山の上ホテルの建物は、明治法律学校(現・明治大学)の卒業生で実業家・慈善家の佐藤慶太郎の出資で建てられた佐藤新興生活館(以下、生活館と表記)を前身とする。生活館は「人間生活の原理及実際を調査研究し、国民の道徳生活ならびに経済生活の向上を図る」(「佐藤新興生活館寄附行為」)ことを目的とした生活改善運動の拠点であり、建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計により、1937(昭和12)年10月、神田区(現・千代田区)駿河台1丁目1番地、佐藤の母校である明治大学の隣接地に竣工した。
 生活館の建設用地としてこの場所を見出したのは、生活館理事長の佐藤、同理事の山下信義、岸田軒造の3名であった。山下と岸田はともに社会教育家であり、佐藤が生活館設立を思い立つきっかけをつくった人々である。この3名はいわば、生活館の創立者といえるだろう。1940(昭和15)年、佐藤が死去した際、岸田は佐藤への追悼文「善をなす最も楽し」のなかで、同地を館の建設用地として取得した経緯について詳しく述べている。
 

翁〔佐藤のこと〕と山下先生と私と三人で各所の候補地を見て廻つたが、断然すぐれてゐるのは今生活館の建つてゐる土地である。けれどもこれは面積がこちらの必要よりも遥かに広い五百坪以上もある。東京市の中心のあの場所では地価が相当高いので、手に入れることは困難と思はれたが、何としてもほしい。垂涎万丈(すいぜんばんじょう)である。そこで翁が其所有者である三菱本社の串田万蔵氏に事情を打ち明けて交渉されると、串田氏は翁の美挙にいたく感服され、こちらが全く予想しなかつた破格の安価で譲り渡しの事を申出られた。この時には翁は「思はず涙が出た」と云つて、非常に喜んでその交渉の顛末を我等二人に報告された。我等も、翁の善業を嘉(よみ)し給ふ神の助けであるとして喜び合つたことである。後日税務署の届書に坪百五十円と書いて出すと、税務署では、「そんな筈(はず)がない。」と云つて、どうしても受付けてくれない。

 
 ここで、岸田は現在の駿河台の土地が選ばれた理由として、その立地の良さを挙げ、同地の所有者である串田万蔵(当時、三菱合資会社総理事)の厚意により、破格の金額で購入することができたと紹介している。また、土地の面積や地価についても具体的に述べているが、岸田の証言を裏付ける文書資料も存在する。東京都公文書館が所蔵する同地の不動産売買契約書には、面積は532坪、購入金額は坪単価150円で総額7万9915円50銭と書かれており、岸田の証言の正確さが裏付けられる。なお、当時の神田区小川町における小売店地の地価は坪単価平均300円、最高500円であった。駿河台と小川町では立地条件に違いがあるものの、坪単価150円は岸田が述べるとおり「破格の安価」であったといえる。*1935(昭和10)年頃の約8万円は、現在の貨幣価値に換算すると約4,000万~7,000万円に相当する。
 最後に、旧所有者の串田万蔵について簡単に触れておきたい。串田は三菱銀行第二代会長であり、「親切第一」「堅実経営」をモットーに三菱銀行を大銀行に成長させた名銀行家である。串田と佐藤は、ともに三菱鉱業株式会社の監査役を務めていた時期があり、旧知の仲だったようである。佐藤の最後の大事業を助けたことは、「長者の風格を備えた有徳の君子」と評された串田の人柄をよく示すエピソードといえるだろう。
 
【参考文献】
内山模型製図社編『東京市神田区地籍図 地籍台帳』内山模型製図社、1935年
大阪経済戦線社編輯部編『経済寳鑑 昭和九年版』大阪経済戦線社、1934年
加藤俊彦『日本の銀行家 大銀行の性格とその指導者』中央公論社、1970年
岸田軒造「善をなす最も楽し」『生活』佐藤新興生活館、1940年2月
松田忍『雑誌『生活』の六〇年—佐藤新興生活館から日本生活協会へ—』昭和女子大学近代文化研究所、2015年
満薗勇「両大戦期東京市における小売商店の職住関係」『経済学研究』(北海道大学大学院経済学研究院紀要)第70巻第2号、2020年12月
「法人設立ニ関スル件(佐藤新興生活館)」1935年10月9日(不動産売買契約書を含む。東京都公文書館所蔵)