2021.1.15 OPEN♪

2021年1月15日(金) 開 院

こころの病気のお話

第5回 HSCってなに?

  最近、メディアで見聞きすることの増えたHSCという三文字。原語は“Highly Sensitive Child”ですが、日本語に訳せば「とても繊細な子ども」でしょうか。大人の場合はCが“people”の PになってHSP、「とても繊細な人」。「繊細さん」なんていうカワイイ呼び方もあるらしいですね。要するに、子どもであれ大人であれ、生まれつき敏感な感覚の持ち主を指す言葉のようです。

 調べてみると、HSPは1990年代半ばに米国の心理学者エレイン・N・アーロンさんが提唱した名称だということですが、これは医学的な病名ではありません。しかし、ここでいう「繊細さ」は発達障害の症状の一部、いわゆる知覚過敏によく似ています。私たち精神科医からすると、HSPは発達障害の症状を部分的に切り出したもの、あるいはごく軽度の発達障害を指すものと考えることもできます。
 知覚過敏、すなわち感覚刺激に対する過敏さは、診断でいうと、発達障害の代表格である自閉症スペクトラム障害(ASD)に認められる症状です。とくに幼児では、特定の音や触覚に拒否反応を示す、物の匂いをさかんに嗅いだり触れたりする、光や物の動き(回転、往復運動など)を見ることに熱中するなどの行動がよく見られます。これらの行動は、ASDに限らず小さな子どもには珍しくなく、年齢とともに薄れて消えていくのが一般的ですが、ASDでは大人になっても残る人がいます。
 ところが、ここでいう知覚過敏は、ASDならば必ず見られるというわけではありません。逆に、ASD以外の発達障害、注意欠如多動性障害(ADHD)や学習障害(LD)などにも見られることがあります。ややこしいですね。でも、第3回で説明したとおり、これらの発達障害は互いに特徴が重なり合うこともよくあるので、べつに不思議ではないのです。なのに、ここにHSPやHSCが割り込んできて、そっちは障害、こっちは障害じゃないなんていうから、話が余計ややこしくなってしまう。今回は、この困った問題を整理してみましょう。
 『ひといちばい敏感な子』(エレイン・N・アーロン・著、青春出版社・刊)という本で、著者は「ひといちばい敏感な」気質を持って生まれてきた子どもをHSCと名づけ、その言動に現れる特徴をいくつもあげています。これらが23の質問からなるチェックリストになっていて、このうち13項目以上がイエスなら「おそらく」HSC、イエスが1つか2つでも「その度合いが極端に強ければ」HSCの可能性が強いとしています。
 このリスト、ここではあげませんが、ネットを開けばすぐに出てきますから、関心があれば検索してみてください。精神科医の目から見ると、23の設問は種々雑多であり、なかにはそれがなぜ敏感さの根拠になるのか疑わしいものもあります。何千人かを対象にアンケート調査をしたときの質問から絞り込んで作ったそうですが、どうにもツメが甘い。私が懸念したとおり、これでは発達障害を鑑別することができません。たとえば知的障害のない軽度のASD(自閉症スペクトラム障害)なら、13項目にチェックが入る子はいくらでもいるでしょう。まして、「極端に強い」と感じる項目が1つか2つイエスになればいいとしたら、ほとんどすべてのASDがHSCということになってしまいます。
 これらの敏感さの特徴は、リスト以外でも表現を換えて繰り返し説明されています。著者は、発達障害との異同についてはほとんど触れていませんが、HSCはASDとは鑑別が難しくADHDとは誤診されることが多いと書いています。しかし、HSCは「正常の範囲内」、精神疾患ではないと断言している。さらに、判断に迷うときにはきちんと医者に診てもらいましょうという。そりゃちょっと都合がよすぎませんか? と申し上げたい気分です。
 こんなふうに、読者を混乱させるだけでなく、実際に「うちの子、ひょっとしてHSC?」と教育相談や病院に訪れる親を増やした点が、HSCのいちばん罪作りなところだと思います。でも、なぜ著者がこの自説を展開するに至ったか、なぜ彼女の書いたHSCや HSPの本がよく売れたか、その理由はわかる気がします。
 敏感さというのは、生まれながらの「気質」(脳のできあがり方の違いと考えるなら、むしろ「体質」に近いでしょう)なのだから、些細なことにこだわる、引っ込み思案、臆病といった「性格」レベルの問題として片付けてはいけない。否定的なまなざしからは、正しい教育や必要なサポートの方法は生まれない。こうした著者の主張には、私も大いに賛同します。しかし、子どもに対するネガティブなレッテルを剥がすために提唱したHSCという考え方が、今度は新しいレッテルとなって現場を混乱させているのは残念です。
 ここでちょっと昔話をしますと、かつてLDについても同じような現象が起きています。メディアを通じてその名が一般に知られることになり、その結果、病院を受診する子どもが増えたのは発達障害の中ではLDが最初でした。1990年前後のことです。「学校の成績がふるわないのはLDがあるからでは?」「精神遅滞(当時使われていた「知的障害」の古い名称)と言われたけど、本当はLDなのでは?」。そんな疑問を抱えた親御さんたちが、子どもを連れて診察室を訪れました。
 子どもが怠けているのではない、家庭学習が足りないせいではない、知能が低いわけではない、つまり、それはLDがあるからだ。親の立場にあれば気持ちはわかりますし、実際に親の判断が正しかったケースもあります。でも、そうでない場合だって、もちろんある。
 HSCに心を動かされた人たちには、このLDの例と同じような心理が働いたのではないでしょうか。発達障害にくくられるよりは、おたくのお子さんは「ひといちばい敏感」なだけですよと言われたい。そう感じる人もいるのでは? 私は、仕事がら「障害」の二文字の重さをよく知っているものですから、こんな穿った見方をしてしまいます。
 発達障害は基本的に「スペクトラム」という考え方を取り入れていますから、その特徴が薄いほど障害の境界はあいまいなものになります。ここからこっちが障害の域とキレイに線が引けるわけではない。HSCもこれと同じです。新しくラベリングしたところで、発達障害と差異化をはかれるものではありません。そんなことをすれば、「障害」をより社会の外縁に押しやることになりかねません。