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考古部門
考古学専攻の創設と陳列館
考古部門のルーツは、1950年の文学部考古学専攻創設時にさかのぼります。駿河台キャンパス・記念館裏手の建物内に考古学研究室が開設され、その一角に資料室兼展示室も併設されました。ここでは、後藤守一教授が戦前に専門部史学科の学生と発掘調査した資料や、杉原荘介助教授(当時)の個人的な発掘調査資料、そして専攻創設前から調査を手掛けていた、静岡県登呂遺跡など著名な遺跡の出土資料の数々が収蔵・展示されていました。
考古学専攻創設に伴い、明治大学単独あるいは研究機関や地方自治体と共同で、全国各地で積極的に発掘調査を行いました。調査件数に比例して増加する資料の収蔵・整理作業スペース、そして相応の展示施設が求められたため、1952年、2号館4階に考古学陳列館が開設されました。準備に際しては、京都大学の考古学陳列館を参考にしていたと、助手として開館作業に携わった大塚初重名誉教授が記しています(大塚1985)。この1950~70年代に収集した資料が現在の考古部門コレクションの核となっていることから、陳列館時代は、「コレクションの形成期」とも評価できます。
考古学博物館と生涯学習
その後、2度の移転を経て、1985年、大学会館4階に考古学博物館として開館しました。これは単なる名称変更ではなく、大学博物館の役割の模索と実践を目指した大きな転換でもあったのです。
それが顕著に表れているのが、大学博物館を通した大学と市民の関係性の構築です。数百名が参加する市民講座・考古学ゼミナールを開講し、受講者有志による博物館友の会発足につながるなど、生涯学習を他大に先駆けて実践しました。また、常設展示は、遺跡出土の一括資料を用いて遺跡ごとの性格を解説する「学史重視型展示」へと変化しました。
この博物館時代は、陳列館時代に蓄積したコレクションや研究成果をもとに、生涯学習機能の構築に特化した時代だと評価できるでしょう。