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明治大学博物館友の会 行事予定

明治大学博物館友の会総会特別講演会『古墳から見た吉備と倭王権』

明治大学博物館友の会総会に引き続き、倭王権を語るとき欠かすことのできない吉備から、古墳時代研究の第一人者の先生をお招し下記要領で特別講演会を開催いたします。
ご出欠のはがきを4月30日(火)までに到着するようご投函をお願いいたします。
日時 2019年5月11日(土)15:00~17:00  開場:14:15(予定)
 講師 新納 泉(にいろ いずみ)氏 (岡山大学名誉教授)
会場 明治大学駿河台キャンパス  アカデミーコモン2階1~3会議室
参加費 会員・明大教職員・学生(他校を含む)は無料。一般1,000円(当日会場にて集金)
申込方法 事前申し込みが必要です。普通はがき・FAX・メールにて住所・氏名・電話番号「総会特別講演会係」と明記してお申込みください。
なお友の会会員は必ず先日郵送の会報第60号に同封の「出欠はがき」によりお申込みください。
【講演要旨】
 楯築弥生墳丘墓と造山古墳は、吉備の古代を語る上で、はずすことのできない遺跡だろう。なぜこのような大規模な墳墓が吉備に築かれたのか。ヤマトとの関係はどうだったのだろうか。ところで、造山古墳は、突然に現れたのではない。吉備地域の全体を見ると、次第に中心となる地域が明瞭となってくる前史がある。では、造山古墳はどの大王墓の時代にあたるのか。問題となるのは上石津ミサンザイ古墳(履中陵古墳)であり、造山古墳が誉田御廟山古墳(応神陵古墳)より古いのは確実であろう。短い期間ではあるが、列島最大級の前方後円墳がヤマトと吉備にあったことになる。しかし、その後の両地域の力の差は拡大する。吉備では、作山古墳、両宮山古墳としだいに規模が縮小するが、ヤマトでは誉田御廟山古墳、大仙古墳(仁徳陵古墳)と大型化が進む。
 両宮山古墳以降の吉備では、6世紀中ごろまで大型古墳の築造は低調だ。しかし、6世紀後半にはいると、横穴式石室をもつ古墳の大型化が急速に進み、こうもり塚古墳は6世紀では西日本最大級と位置づけられる。その次に吉備が異彩を放つのは、7世紀の「終末期古墳」の段階だ。備中北部の北房地域に、特徴的な方墳が継続して築かれることになる。このように、吉備の古墳時代は、激動の時代だ。その激動の要因を、倭王権とのかかわりのなかで解いていきたいと思う。倭王権もまた、激しい力関係の変化のなかにあると考えたい。
 倭王権の実態については、見解の相違が少なくない。政治センターは王宮か大王墓か。大型古墳群の移動は何を物語るのか。古市・百舌鳥古墳群で、大王墓が交互に築かれると思われるのはなぜか。それに応える仮説を提示し、吉備との関係を考えるヒントを探りたい。
 
【講師のプロフィール】
1952年 滋賀県蒲生郡日野町生まれ
1983年 京都大学大学院文学研究科博士課程学修退学
1984年 岡山大学助手(文学部)
1989年 岡山大学助教授
1999年 岡山大学教授
2018年 岡山大学特任教授・岡山大学名誉教授
専門は古墳時代、コンピュータ考古学、ヨーロッパとの比較研究
<主な編著書> 
『定北古墳』 新納泉・尾上元規編、1995年 『鉄器時代のブリテン』 単著、1999年
『定東塚・西塚古墳』岡山大学考古学研究室(共著)、2001年
『考古学のためのGIS入門』古今書院(共著)、2001年

<江戸時代を探訪するPARTVIII>「幕末の歴史遺産品川御台場を歩く」

 嘉永6年(1853)6月、ペリー艦隊が浦賀に来航しました。翌年ペリーが再来することを知った徳川幕府は、従来の江戸湾防備の体制を見直し、新たな防衛線を構築することを決定しました。そこで築造されたのが品川御台場(別称、内海御台場)です。芝が映える新緑の季節、幕末の国家プロジェクトの全容に迫る旅に出かけましょう。
【実施要項】
実施日 2019年6月4日(火) 集合:10:00 りんかい線東京テレポート駅改札
*参考アクセス  新宿9:11(1番線新木場行)‐大崎9:23経由(りんかい線直通)‐東京テレポート駅9:35着
主な見学場所 フジテレビ展望台(江戸湾と品川御台場のCGコンテンツ「タイムトリップショット」と球体展望台を見学=御台場築造地全域を俯瞰)⇒国史跡第三台場(昼食休憩も)⇒レインボーブリッジ渡橋(御台場を眼下に見るほか、第八~第十一台場築造予定地付近の豊洲などを俯瞰)⇒ゆりかもめ芝浦ふ頭駅解散(14時頃予定)
案内講師 冨川 武史(とみかわ たけし)氏(品川区立品川歴史館学芸員)
定  員 20名(先着順)
参加費 会員1,400円 一般1,600円<予定>(フジテレビ展望台入館料、保険料等含む)
当日集金 *昼食は各自ご持参ください
申込方法 事前申込制(先着順)
メール&往復はがきにてあて先を友の会「江戸探訪係」と明記してください。(FAX不可)
締切日 2019年5月21日(火)
*定員になり次第締め切りますので早めにお申込みください。
*申込みされた方にはオプションのご案内等を後日お送りします。
<講師より>
 幕府は、ペリー来航を大きな契機とし、西欧列強国と対等な関係を構築するため、抑止力となるだけの強固な防衛線を江戸湾の品川沖に構築しようと計画しました。その新たな防衛線が品川御台場です。品川沖の埋め立てによって海上砲台を建設するという幕府主導の土木工事は、江戸城築城以来の非常に大規模なものでした。御台場は日本全国に築かれましたが、品川御台場ほど大規模なものはありません。品川御台場は、嘉永6年(1853)8月末から翌安政元年12月中旬に至る約1年4ヶ月の工期で、12基計画のうち半数の6基竣工時点で工事を終えましたが、6基の御台場(御殿山下・第一・第二・第三・第五・第六)による防御海域は非常に広いものでした。12基で考えると、現在の品川区東品川から中央区豊洲付近に至り、直線距離にして約6キロメートルにもおよびます。この内、現存しているのは国の史跡に指定された第三台場と第六台場の2基のみです。その他の台場は、明治後期の沿岸部埋め立てや、昭和30年代後半にかけて実施された東京港拡張工事により消滅・埋没しました。今回は、様々な角度から御台場を見ることで幕末の一大国家プロジェクトの全容を理解していただきます。そこには、約165年前から時が止まった江戸の史跡と、戦後、高度経済成長期以降大きく変貌を遂げたまち・東京が混在した風景が広がっていることでしょう。
 幕府が品川御台場に期待したのは、諸外国との戦争を回避し、長らく続いてきた平和を維持していくための最終防衛線、抑止力としての役割を果たすことでした。明治改元から150年を経て、平和の祭典東京オリンピック・パラリンピックを来年に控えた今、幕末の歴史遺産である品川御台場を歩き、改めて平和を考えていただければ幸いです。

<相撲講演会>「江戸の大相撲を探訪する」

 今回は大入り満員が続き活況を呈している大相撲に焦点をあてた講演会を企画しました。講師に日本相撲協会相撲博物館の土屋喜敬学芸員をお招きし相撲の始まりや歴史などについて、知っているようで知らない「大相撲」の世界についてお話を伺います。 どうぞ皆様お誘いあわせの上、奮ってご来場ください。

【実施要領】
実施日 2019年6月25日(火)
時 間 13:00~15:00(12:20より受付開始)
会 場 明治大学駿河台キャンパス グローバルフロント1階 多目的室
講 師 土屋 喜敬(つちや よしたか)氏  相撲博物館学芸員
定 員 150名(先着順)
参加費 会員・明大教職員・学生(他校を含む)無料。一般 1,000円(当日会場にて集金)
申込方法
事前申し込みが必要です。
普通はがき・FAX・メールにて「相撲講演会」係と明記の上お申し込みください。
締切日 2019年6月18日(火)
【講演要旨】
 現在、大相撲では日本国内だけではなく、モンゴルやヨーロッパ諸国など、世界各国の若者が活躍しています。ネットが普及したこともありますが、国技館を訪れる外国人も多く、毎場所繰り広げられる力士たちの熱戦は、世界中から注目を集めているといっても過言ではないでしょう。このようにもっぱら国際化したと言われて久しい大相撲ですが、今回は、江戸時代の様子を探ります。
 もともと大相撲とは、たくさんの力士が参加する大きな興行を指す言葉でしたが、現在では通常、相撲を生業とする集団による興行を意味します。また「いまの一番は大相撲だった」などと言って熱戦を振り返る方もいらっしゃるでしょう。
 生業としての大相撲のはじまりは、神社やお寺、橋などを普請・修復するために催された勧進相撲です。中世から催された勧進相撲は、江戸時代に大相撲へと発展しました。講座では大相撲の成立を概観した上で、稽古、巡業、大名の間で流行した抱え相撲、将軍の前で披露する上覧相撲などのトピックスを交えながら、これまであまり語れることのなかった力士たちの生活にも迫っていきます。最後に浮世絵師・歌川国郷による安政3年(1856)の「江戸両国回向院大相撲之図」などをご覧いただきながら江戸の相撲場へと皆様を誘いますが、櫓太鼓や幟をはじめ、さまざまな「もの」に囲まれながら奮闘する力士たちに熱狂する観客の姿もご覧いただきます。
 江戸時代は、徳川幕府により250年もの長きにわたって大きな内乱のない「平和」な時代でした。浮世絵や歌舞伎あるいは俳諧、旅など、さまざまな文化が花開くなか、大相撲も現在のように庶民の娯楽として親しまれるようになったのです。江戸の観客になった気分で、当時の相撲場を想像しながらお楽しみいただければ幸いです。 (講師より)
 
【講師紹介】 
1971年  静岡県生まれ
1994年 東京学芸大学卒業
1996年 同大学大学院教育学研究科修士課程修了
現在、相撲博物館学芸員。専攻は日本近世史
<著書>ものと人間の文化史 相撲』(法政大学出版局、2017年) 
「文政後期の江戸相撲と吉田善左衛門家」竹内誠編『徳川幕府と巨大都市江戸』東京堂出版、2003年)など

<第16回古代史講演会>『光明皇后と聖武天皇~夫婦の絆を確かめる』

 著書『帝王聖武 天平の勁き皇帝』で聖武天皇は実は天平のつよき皇帝であったとする見解を発表して話題となりました。今回はその聖武天皇のよき理解者であった光明皇后が、皇后としての公の立場と藤原氏の娘という私的な立場のなかでどう聖武天皇と向き合っていったのかをさぐり併せて夫婦の実像に迫ります。ご期待下さい。
【実施要項】
実施日 2019年7月27日(土)
時 間 14:00~16:00 (13:15より受付開始)
 会 場 明治大学駿河台キャンパスリバティタワー3階 1032教室
※グローバルフロント2階 4021教室から会場が変更になりました。
 講 師 瀧浪 貞子氏(たきなみ さだこ氏)(京都女子大学名誉教授)
 定 員 100名(先着順)
参加費 会員・明大教職員・学生は無料 一般 1,000円(会場にて集金)
 申込方法
事前申し込みが必要です。
普通はがき・FAX・メールにて、「16回古代史講演会」係と明記の上お申込下さい。
 締切日 2019年7月20日(土)
【講演要旨】
 毎年秋に公開される正倉院展は、古都奈良の風物詩となっています。光明皇后(藤原光明子)が夫であった聖武天皇の遺愛の品々を東大寺の大仏に奉納したもので、2人の姿を彷彿とさせます。聖武天皇と光明皇后は701年の同い年生まれ、幼なじみでもありました。お互いをもっともよく知った夫婦だったのです。
 光明皇后は、ひ弱な優柔不断の聖武に対して、男勝りで気が強いといったイメージで受け取られがちですが、信仰面では慈悲深い女性として美化され、政治面では権力を握った悪評高い皇后という、実像と虚像がない交ぜになっているように思われます。その生涯は皇后としての公の立場と、藤原氏の娘としての私の立場という二面性の使い分けに腐心し、平穏なものではありませんでした。母の県犬養橘三千代の一周忌供養に安置された興福寺の阿修羅像は、そうした光明皇后と聖武との絆の結晶として発願されたものです。
 夫聖武を支え、最大の理解者となったのも光明皇后でした。そもそも紫香楽での大仏造立は皇后の勧めによるものでしたが、それが失敗し、憔悴しきって平城京に戻った聖武を慰めたのも皇后です。在所の側に「宮寺」を設けることを提案し、聖武はそれを心の拠り所としたのです。聖武没後は、女帝となった娘孝謙の行く末に心を砕いています。
 重態に陥った聖武の気がかりは正統な天皇とみなされない娘、女帝孝謙の将来でした。聖武が孝謙朝の皇太子を天武天皇の嫡系ではなく、傍系から選んだのはそのためです。聖武自らが、皇位継承における草壁嫡系の方針を捨て、天武系諸王へ継承権を拡大したのです。すべては孝謙のため、そして紛争を避けるためでした。光明皇后もまた、皇位の正統性のシンボルとされた「草壁皇子の佩刀」の継受を聖武で打ち切り、東大寺へ奉納したのです。孝謙には継承させないというのが生前、聖武との間に交わされた約束でした。2人にとっては苦渋の決断だったでしょう。
 これまであまり語られなかった夫婦の実像に迫りながら、天平時代を考えてみます。

【講師紹介】
1947年、大阪府生まれ。1971年、京都女子大学文学部東洋史学科卒業。1973年、同大学大学院修士課程修了。1992年「日本古代宮廷社会の研究」で筑波大学学位論文。1982年から京都女子大学講師・助教授・教授を経て現在名誉教授。
著書:『日本の歴史5 平安建都』集英社、『最後の女帝孝謙天皇』吉川弘文館・歴史文化ライブラリー、1998 『女性天皇』集英社新書、2004 『奈良朝の政変と道鏡』吉川弘文館、2013   『藤原良房・基経』ミネルバ書房、2017 『光明皇后』中公新書、2017などその他多数。

「講演会 日本考古学 2019」

 最新の発掘や研究の成果を報告いただく毎年恒例の講演会です。本年は明治大学文学部の縄文研究の第一人者である阿部芳郎氏をお招きします。さらに、注目を集めている徳島の鉄器製作遺跡=加茂宮之上遺跡の発掘責任者氏家敏之氏にご講演をお願いします。
【実施要領】
日時 2018年9月28日(土) 13:30~17:00
会場 明治大学駿河台キャンパス リバティタワー1階 1011教室
<講演テーマと講師>
講演1)「身体装飾の発達と縄文の社会構造」   
講 師:阿 部 芳 郎氏(明治大学文学部 教授)
 縄文時代を特徴づける現象として装身具の発達があげられる。ところで貝や石、骨や木を素材とした腕輪や耳飾、垂飾などは、一見すると今日の私たちが利用するアクセサリーと同じに見える。縄文時代の装身具にはどのような意味があったのだろうか。 本講演では、縄文時代の身体装飾という観点から、貝製腕輪(貝輪)と土製耳飾の2つを取り上げて、これらの多量化・多様化が認められる縄文時代後期から晩期の社会の特質を考えてみたい。とくに縄文文化は後期から晩期に停滞し、次期の弥生文化へと以降したと考えられてきた。しかし、これらの言説には解釈が先行して具体的な根拠が示されているとは言えない点がある。身体装飾の研究はこれらの仮説の検証に1つの有効な視点を提供してくれるに違いない。貝輪の社会的な意味を考えるためには、まず貝輪の製作技術を復元することが重要である。製作技術を解明することにより、製作難易度という視点から装身具としての貝輪の価値を見出すことができる。ここでは具体的な貝輪製作実験の成果について紹介し、これまでとは異なる製作技術の存在を指摘する。次に、貝輪のサイズとその着装人骨の年齢の相関関係に加え貝輪着脱実験の成果をもとにして遺跡出土の貝輪の着装年齢を推定する。こうした一連の分析から、貝輪の多量化には、着装習俗の普及、多数着装人骨の出現、着装の多世代化が関係していることが見えてくる。さらに、後期以降の時期に出現する貝輪の大量生産遺跡が集落遺跡であることを糸口にして「原産地生産集落」という概念を提示しつつ、これらの集落遺跡が出現する意義について考えると、広域な地域の中で起こった装身具の多量化、多様化の背景が見えてくる。また、後晩期に多量化や多様化が認められる装身具として土製耳飾と石製垂飾を取り上げて相互に比較し、これらの装身具の着装技術や着装によって象徴化された縄文社会の特質を明らかにする。 (講師より)

講演2)「徳島県阿南市加茂宮ノ前遺跡の調査成果」
講師:氏家敏之(公益財団法人徳島県埋蔵文化財センター 事業課長)
 加茂宮ノ前遺跡は徳島県の南部を流れる那賀川の中流、加茂谷川が合流する部分の自然堤防上に立地した集落遺跡である。昨年度(2018年度)の発掘調査では弥生時代中期と縄文時代後期の集落跡が相次いで確認され、それぞれ全国的にも注目を集める成果が得られた。まず一つめは弥生時代の鉄器製作跡の発見である。鉄の道具は中期頃より朝鮮半島からもたらされ、中期末頃になると日本国内で鉄器の製作・加工が行われるようになる。遺跡内からは10軒を超す竪穴住居内から鍛冶炉とともに砥石、台石、敲石などの鉄器製作のための道具類が多く出土しており、国内最古・最大級の鉄器生産集落であったと考えられる。
 二つめは配石遺構を伴った縄文時代の集落跡の発見である。大型の川原石を円形に並べた配石遺構は祭祀施設と考えられており、西日本での発見はきわめて珍しい。また近接して竪穴住居も検出されており、生活域と祭祀の場が一体となって確認された貴重な例である。これら二つの時代の調査成果に共通するキーワードは「水銀朱」である。加茂宮ノ前遺跡の近隣には水銀鉱脈が存在しており、その周辺から得られた辰砂鉱石を粉砕加工することによって古代人が顔料として重用した「水銀朱」の生産が行われていたのである。貴重な資源活用を目的として形成された集落の様子を県内の一般集落のあり方と比較しながら紹介したい。(講師より)

【申込要領】
参加費 会員・明大教職員・学生(他大学含む) 無料 
一般 1,000円(会場にて集金)
定員 200名(先着順)
締切日 2019年9月21日(土)
申込方法
事前の申し込みが必要です。
住所・氏名・電話番号(会員番号)、「日本考古学2019係」と明記の上、普通ハガキ、メール、FAXにてお申し込みください。

宿泊見学会「関東の遺跡を訪ねて」-その2 房総三カ国(千葉)-

 本年度は関東の遺跡を巡る見学会を再開します。二回目は安房、上総、下総の三ヵ国をじっくりと探訪します。まずは、海ほたるを経由して安房館山に向かい、その後上総、下総へと北上していきます。縄文時代の洞窟遺跡、古墳出現期の最古級古墳から後期の大型古墳、各国の国分寺・国分尼寺を巡り、東国ならではの見事な形象埴輪や話題のチバニアンにも出会えます。
【実施要領】
実施日 2019年10月31日(木)~11月2日(土)
集 合 午前7時50分 明治大学駿河台キャンパス 大学会館前 *木更津駅東口(千葉集合地)午前9時 経由
宿 泊 1日目 グランパークホテルエクセル木更津  tel 0438-22-4123
2日目 五井グランドホテル  tel 0436-23-1211
見学予定コース (第1日) 8:00 博物館前 バス出発 海ほたる経由
9:00木更津駅着 → 館山市立博物館 →昼食 → 沼サンゴ層 →  鉈切洞窟 → 安房神社洞窟遺跡 → 安房国分寺跡 → ホテル着
(第2日) 8:30 ホテル出発
内裏塚古墳群 →地球磁場逆転地層(チバニアン)→昼食 →上総国分尼寺展示館 →上総国分寺跡 → 神門古墳群 → ホテル着
(第3日) 8:20 ホテル出発
長柄横穴群 → 芝山古墳群(姫塚、殿塚)→ 昼食 →  芝山ミューゼアム(観音教寺内) → 芝山町立はにわ博物館 → 房総風土記の丘資料館 → 龍角寺古墳群 → 千葉駅解散 17時30分頃予定
同行講師 忽那 敬三氏(明治大学博物館学芸員)
現地講師 白井 久美子氏(千葉県立房総のむら 主任上席研究員)
定 員 40人(先着順、会員限定)
参加費 45,000円 (予定)
申込み
封書・メールにて(FAX不可)。住所・氏名(ふりがな)・生年月日(西暦で旅行保険用)・電話番号・会員番号を記し、「房総宿泊見学会」係と明記の上お申し込みください。
封書の場合は返信用はがきを同封してください。
締切日 2019年9月20日(金)
*定員になり次第締め切りますので早めに申込み下さい。
【主な見学場所】
(1)養老川流域田淵地球磁場逆転地層(チバニアン)
市原市の南部、養老川の中流域にみられる地質年代区分の第四紀前期更新世及び中期更新世の地層です。この地層は、もともとは海底に堆積した地層が、地殻変動によって隆起して地上に現れたものです。さらにこれらの地層が河川の侵食によって削られ、河岸では大規模な露頭が形成され、平らな河床の両側に崖がそびえたつ独特の景観が見られます。(天然記念物指定)
現地の地層には、今から約77万年前に最後の地磁気逆転現象がおき、その後現在と同じ地磁気の向きになった痕跡が残されています。この現象が、同じ地層の中で連続的に観察・分析できる場所は、此処以外ではほとんど例がなく、学術上極めて価値の高いものです。
(2)沼サンゴ層
約6,000年前に生息していたサンゴの化石を、海岸より約1km内陸にはいった標高20mほどのところでみることができる。縄文海進により海水面が上昇し、そこにサンゴが生息していたが、その後の地殻の隆起によって、現在のような山腹に見ることができる。館山市沼から産出したため、「沼サンゴ」とよばれている
(3)神門古墳群(5号墳)
墳頂部の埋葬施設から剣・ガラス玉・鉄鏃が発見され、直径30~32.5mの円形の墳丘の西側に長さ約12mの前方部が付き、全長42.6mとなる。周溝は円丘部だけでなく、前方部の側面と前面に幅の狭い区画溝があることから、定型化された前方後円墳に移行する前の、畿内の出現期古墳にも通じる過渡的な様相を示している。近畿・東海・北陸地方の系譜をもつ土器が数多く含まれることから、外来的な要素の強い古墳としても注目されている。

2019年度 年間行事計画

2019年9月11日現在
見 学 行 事 講 演 会 等 企 画
4月 3(水)
会員案内地元見学会(江東PartII)〈案内〉高橋 幸子会員
 
5月   11日(土)
定期総会
特別講演会「古墳から見た吉備と倭王権」
新納 泉(にいろ いずみ)氏(岡山大学名誉教授)
6月 4日(火)
<江戸時代を探訪するPARTVIII>「幕末の歴史遺産 品川御台場を歩く」冨川 武史氏(品川区立品川歴史館学芸員)
25日(火)
<相撲講演会>「江戸の大相撲を探訪する」 土屋 喜敬氏(相撲博物館学芸員)
7月   27日(土)
<第16回古代史講演会>「光明皇后と聖武天皇~夫婦の絆を確かめる」瀧浪 貞子氏(京都女子大学名誉教授)
8月    
9月   28日(土)
日本考古学2019
「身体装飾の発達と縄文の社会構造」
阿部 芳郎氏(明治大学文学部教授)
「徳島県阿南市加茂宮ノ前遺跡の調査成果」
氏家 敏之氏(公益財団法人徳島県埋蔵文化財センター事業課長)
10月
31(木)~11/2(土) 
関東の遺跡巡りPARTII「房総3か国」(会員限定)
 
11月    
12月   23(月)
近世史講演会「隠れキリシタンと潜伏キリシタン」
清水 有子氏(明治大学文学部准教授)
中園 成生氏(平戸市生月町博物館「島の館」学芸員)
2020年
1月
   
2月   8(土)
雅楽講演会「雅楽への招待」
三田 徳明氏(京都方 安倍流雅楽師範 雅楽瑞鳳會主席)
3月   4(水)
会員発表会&島田学芸員講演会
行事参加の申込み方法
 参加希望の方は、それぞれの締切日までに、各行事の申込み方法によって、住所・氏名・電話番号・会員番号・「○○」係を明記して申込みを行って下さい。
 お申込については特別に事情がない限り会からは返信をお送りしませんので、申込みをされた方は、当日直接集合して下さい。参加できなくなった場合は、友の会又は緊急連絡先に必ずご連絡下さい。

はがき宛先: 〒101-8301 東京都千代田区神田駿河台1-1 明治大学博物館友の会○○係
FAX: 03-3296-4365 <博物館気付>
メール: meihakutomonokaig★gmail.com(★を@に置き換えてご利用ください。)